2019年9月16日月曜日

隠居の畔で

僕は61になるサラリーマンです。おそらく、63の誕生日を持って退職ということになると思います。それにあわせて退職後のことを考えていますがインターネットなどで情報があふれている割にはあまり役に立つものはなく考えれば考えるほどよく分からなくなってくるのでこのブログにその日々の気持ちを記録し整理していこうと思っています。

法律では65歳までの雇用が義務付けられているようですが、僕の勤める会社の規定では実質的に年金の暫定受給期間が始まる年齢の誕生日前日が雇用延長のマックスになっています。コンプライアンスにはうるさい会社なので法律的にも問題がない規定だと思われます。ということで僕の場合は残りのサラリーマン人生はあと一年半強なのです。

自分の退職後の生活はどいうなるんだろう。第二の人生などというのは大仰すぎる。そんなに力まなくたってよいのです。人生一回ですから、第一も第二もないでしょう。また、退職をもってそれまでの人生がすべてゼロになってまったく新しい人生が始まるわけでもないのです。そんなに頑張らなくてもよいと思う。仕事をやめようが続けようが自分は連続した一回きりの人生を生き続けている。

また余生というのも抵抗があります。なんというか大きなことを成し遂げた人がその後の人生をゆっくり生きるというイメージかな。ゆっくり生きることには共感できるのですが、僕は別段何も成し遂げていないから余生などという大それた言い方はできない。

で、隠居です。しっくりきます。力みも感じないし偉そうでもない。光り輝いてはいないけれど、お金がなくてもそれなりに楽しそうです。

だから、自分の退職後は隠居生活。それでブログのタイトルを「隠居の畔で」としてみた。なんとなく気にいってます。あと一年半、僕の隠居についていろいろと考えてみることにしました。

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