2019年12月31日火曜日

2019は仕事への緊張から解放された年であった。

2019年は、仕事に対するマインドセットがずいぶん変わった1年でした。再雇用の契約は2020年も続くのですが、自分が仕事の緊張から解放された1年であったように思います。

昨年は、60歳で定年になったあと再雇用で同じ仕事を続けたため、自分の立場が契約社員になったことを当初はまったく感じなかったのです。しかし、やはり再雇用者です。徐々に周りとの関係は変わっていきました。自分でそれに気づき、少しづつ仕事のやり方を変え、仕事に対する気持ちのコミットメントも下げていきました。

そして今年61歳になって、やっとわかってきました。職場以外で仕事のことを考える必要はない。積極的な仕事へのかかわりは必ずしも周囲からは歓迎されない、ということを理解するのに1年かかりました。

そして気がついてみると、自分がそれまで常に意識せざるを得なかった「評価される」というプレッシャーから解放されていることに気が付きました。コミットメントを下げ続けてようやく自分は気が付くことができました。再雇用者は昇給がないのです。粗相がない程度に仕事をしていればよい。

自分の働いている会社はホワイトに近い会社です。しかし、定年までの雇用が保証されているわけではありませんでした。これはおそらく、今はどの会社でも同じだと思います。お気楽なサラリーマンというのは、もう過去のものです。

ですから、いつも仕事に対する評価が気になった。そして、仕事をしていないときも、それはいつも気になっていた。だから、体は休めても精神的にはリラックスしきれなかった。それがずっと続いていたのです。その緊張感から今年は解放されることができました。

そして、今年の秋以降、自分の時間を大事にすることを心掛けています。そもそも、仕事のことを考える必要はないのです。このブログを始めたのもその一環です。

そう言った意味で、2019年は僕にとってのシニア元年だった。これからは、人の評価など気にせず生きていきたいです。



2019年12月30日月曜日

なぜキャッシュレス化が進まないのか?こんなに便利なのに。

12月5日から読み始めた北方バージョンの三国志を昨日読み終えました。何というか、喪失感はありますね。もっとあの世界に浸っていたかった。多分、そのうち他の作家のバージョンを読むと思います。その前に水滸伝かな。

それで、キャッシュレスです。僕は、街中では2000円以下はスイカ、それ以上はクレジットカードを使っています。

特に電子マネーのスイカ。こんなに便利なものを、まだ多くの方が使っていないのは信じられないです。

スイカはコンビニ全店、それから主だったファーストフード系のレストランで使えます。お昼時にレジで並んでいると、キャッシュレスで払っているお客さんの比率は3分の1くらいですね。これは、東京の新宿でのランチライムでの観察です。ですからご老人は殆どいません。それで3分の1です。

なぜみんな電子マネーで払わないのだろう?東京の新宿といえば、ほとんどの通勤者は公共の交通機関を使っているはずです。そしてその定期は、ほとんどがスイカかパスもだと思います。それぞれ電子マネーはついている。オートチャージ機能も付いている。

このオートチャージはものすごく便利です。設定金額を下回ると改札を通るときに自動で設定した金額がチャージされるのです。だから、支払いの時にスイカをかざすだけ。他に何もしなくてよいのです。

僕の場合、平日の生活のほとんどの支払いがスイカの設定金額以内なので財布を開けてお金を支払うことは殆どありません。そのスイカも、スマホケースに入れているのでお昼はマホだけ持って事務所を出ます。

まれにシステムの不調もありますが、それもスマホケースに若干のお金を忍ばせておけば心配内です。お札1枚くらい嵩張ることもありません。

なんでこんな便利なものをみんな使わないんだろう?コンビニでの支払いも現金の受け渡しがないから本当にスムーズです。お財布をバックから出す必要もない。

これはクレジットカードの利用率が先進諸外国よりも低いのが理由の一つかもしれませんね。電子マネーはクレジットカード払いのオートチャージを使わなければ便利さは半減します。わざわざ機械で現金をチャージするくらいなら現金支払いとあまり変わらないかもしれない。

政府はキャッシュレス化を進めるキャンペーンを展開中です。そのうちに諸外国並みになるのだろうけど時間はかかるでしょうね。

2019年12月27日金曜日

三国志のため、ブログ更新が滞る。

三週間ぶりの日記の更新です。

前回更新した12月5日から、三国志を読み始めました。北方健三版です。そして、今日から最終の13巻を読みます。

冬休みにかけて少し長いものを読もうと思い、三国志の北方バージョンを図書館で借りてきました。三国志は退職後に読むつもりだったのですが、暇なので読んでしまうことにしました。

冬休みにも読むつもりが、日本人に人気の三国志はやはり面白く、一度読み始めると止まりません。そうすると、週一度は更新しようと思っていたブログの日記を書く時間も惜しい。三週間ほ何も書かなかったので、一応気にしていたブログランキングも、あっという間に圏外です。

平日でも、通勤時と昼休みと帰宅後の夕食後に読めば、読みやすいこともあり、先週は一日一冊ペースで進みました。今週はペースが落ちましたが、明日あたりが三国志の最終日となると思います。この三週間、頭の中は三国時代でしたから、なんとなく、名残惜しいです。

長い小説などを読むと、はじめは巻を進めなくちゃという気持ちで読んだりもするのですが、終わりの方になるともっと読んでいたいと思うものです。三国志もそんな小説の一つになりました。

三国志は他の著名な作家も書いています。幾つかを読み比べてみても楽しいとは思います。そういった楽しみ方は、退職後にとっておきたいと思います

基本的に、読書は娯楽です。楽しいから読む。しかし、そうやって考えられるようになったのは50過ぎてからでした。

なにか読書というと何かを読み取らなければいけないと考えてしまって、勉強だと考えていたこともありました。もっと気楽に読んでおけばよかったと思います。

本を読みながら考えることもありますが、それ自体も楽しいことでありますから娯楽です。知識を得るという目的もありますが、それも楽しいからやるわけです。読書は楽しい。

いま退職後に読んてみようと考えているのは全集です。全集は時間がないと読むの大変。浮世の些事から逃れられない現役世代には全集を読む時間を捻出するのは難しい。これは定年退職者に許された、かなり贅沢な余暇の楽しみの一つでしょう。






2019年12月5日木曜日

若者が文章を書けないのは国語教育の問題では?

本日の朝刊の一面は、文章を作れぬ若者、でした。OECDの学力調査で日本の若者の読解力が公に示されてしまいました。

これについての報道では、その原因をLINEなどのスマホアプリに求めているものが多いようです。例にもれず、教師の時間が足りないというものもありました。
僕は一番の問題は日本の母国語教育だと思います。今回のOECD調査はそれを正す機会になってくれればと思います。

英語教育については、よく会話力低さが指摘されますよね。中高6年間習ったって英語が話せるようにならない、だから日本の英語教育は間違っている、という批判はよく聞きます。(僕はこの批判は全く当たらないと思っている一人ですが、これについてはまた機会があれば日記に残しておきたいと思います。今日は国語です。)

これと同じ論法を国語の教育に当てはめて論じる報道は今まで見たことがありません。しかし現状は英語教育とどこも変わらない。小中高12年間国語教育を受けているのに、「読み書きはもはや特殊技能」と嘆く教育関係者もいるそうです。

LINEも悪影響を与えているかもしれませんが、そもそも、教育の現場で、書く練習が全く足りない。その少ない書く練習も、取り組み方がおかしいとおもう。これを僕たちは実際に体験してきたし、息子の時代の国語教育も同様だった。入試では書く力はほとんど問われないですから。

 国語が母国語の読み書きを教える教科なのであれば、最低半分は書くために時間に割くべきです。

そして文章も、感想文や作文ではなく、仕事文を書く練習を徹底的に行うべきです。状況分析を書く練習、報告書を書く練習、提案書を書く練習、などです。

学校の作文では、「今日は朝起きて、歯を磨き、お母さんの作ってくれたサンドイッチを食べてから、クラスメートと一緒に遠足に行きました」、といった作文を書くと先生に怒られた。これは作文じゃないって。自分の気持ち、考えを書きなさいって。読書感想文も、要約が多いと同じ理由で怒られた。

こういった作文指導で文章を書けなくなった人はたくさんいると思う。遠足は楽しくなかったけど、事実の記録だけにしたり本心を書くとよい点数はもらえない。読書感想文も同じ。

しかし、今の時代、学校の先生が期待するような作文を書く機会は実生活ではほとんどありません。

ほとんどの場合、事実や分析を論理的整合性保ちつつ正確に伝えることが求められます。自分の感想や気持ちなんて邪魔です。提案書の練習なら、それに適した課題を与え書かせるべきなのです。そしてその際には、先生はその文章のテンプレートのようなものを事前に教えておくべきです。そうすれば書くのが楽になる。楽であればどんどん書けます。そうすれば文章もうまくなる。

実社会では、自分の感情を書かねばならぬ機会など稀です。必要なのは仕事文です。でも学校では教えないですから、必要に迫られると、みんな自分の文章力のなさに愕然とする。それは文章が下手なのではなく、書き方のルールと文章の構成がわからないだけです。仕事文を教えてもらってこなかったから苦労する。

今はインターネットとe-mailの時代です。これらは主に文章で構築されている世界です。だから、かつてないほど文章力が重要な時代なのです。その時代にこの能力が不足している若者を大量に生み出しているのは国家的な損失ですよ。速やかに国語教育は仕事文的な文章作成の比重を高めるべきだと思う。

しかし、現役ほぼ引退の61歳の自分が日記に自分の意見を書いても何にもならない。文部省はホームページで一般市民の意見も受け付けているので、本名を名乗り、メールアドレスも記して、この日記の要約を書き込んでおきました。何もしないよりはましかなと思いってます。

日本の不幸、新コロナも政権批判の道具にされてしまう。

先週安倍首相が政府の新コロナウイルス対策をテレビを通じて国民に説明しました。僕の感想は可もなく不可もなくってところでした。もう少し早くこのような機械を持つべきではなかったかと思いますが準備が整わなかったのかもしれません。 そして、やはりというか、さっそく野党は批判のコメントを...