2020年1月25日土曜日

出雲と大和展に行く

昨日は仕事をかなり早めに切り上げて東京上野の国立博物館で開催中の出雲と大和展に行ってきました。

平日の四時前の入館でしたから入場時はすいていました。夕方になるにしたがって人の数は増えてきましたが、自由に見て回るのには不自由しない程度の込み具合でした。

テーマとしては地味ですが、博物館通いが好きな方なら見逃せない内容です。

東京国立博物館の特別展は総じてレベルが高く満足度は高いのですが、そのなかでも今回の展示は密度が濃いように感じました。言い換えれば、自分が見たいものがぎっしり詰まっていました。

この展示のメインは荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡からの銅剣、銅矛そして銅鐸です。その数に圧倒されました。また他の場所から出土した絵付きの銅鐸も展示されておりこれらも非常に興味深い物でした。

展示の入り口に置かれている宇豆柱も圧巻です。三本の巨木をまとめて直径3mの柱として使われたものの出土品でそれがそのまま展示されています。

それを示す造営図が長く伝えられていたのですが、それが示す本殿があまりに巨大でその信ぴょう性が疑われていたのです。しかし、この宇豆柱の出土によりその設計図の価値が一気に高まったそうです。こういう話は、好きです。

それに基づいた本殿の十分の一模型も展示されています。これも出雲市から借りて来たようです。あまり大きく紹介されていませんが、この模型も満足度が高いです。

柱の出土品と造営図とそれに基づいた模型。これらが全て一つの展示室で見れるのです。さすが東京の国立博物館です。

それから、卑弥呼が魏から贈られた鏡の一つかもしれないといわれている、神原神社古墳から出土した景初三年の文字付きの三角縁神獣鏡も展示されていました。卑弥呼が使節を派遣したのが景初三年なんですね。この文字も拡大鏡で確認。感動です。

三世紀ころといわれる黒塚古から出土した三角縁神獣鏡33面もすべて展示です。

四隅突出型墳丘墓関連の展示もありました。出土品と西谷古墳の上空からの映像。この出雲地方独特の古墳は大和朝廷型の前方後円墳に移行していくのです。

ここまでで展示の半分です。僕としてはここまでで充分。四隅突出型墳丘の出土品まで見れると思っていなかったので大満足でした。

ここで休憩して、もちろん残りの半分も見て帰りました。この特別展は三月まで続くのでもう一度見に行ってもいいかなと思っています。

2020年1月13日月曜日

認知症について。

僕の住む市で「認知症サポーター養成講座」というものが開かれるようなので参加を申し込みました。定員があり多数の場合は抽選とのことです。市から招待状がメールで届けば、平日の午後に開かれる講座ですが、半休を取って参加します。

僕がこの口座に興味を持ったのは二つの理由によります。

先ずは、昨日の日記に書いた、シニアはシニアがサポートするべきではないか、という考えに対する一つの具体的アクション、という理由。

そのサポーターというのがどういうものなのか今は全く分かりませんが、何らかの形で微力であっても自分が貢献できるのであれば検討してみたいです。

後期高齢者を前期高齢者が支援していければ、これからより深刻化していく高齢者問題を幾分か軽減できるのではないかと思うのです。若い人たちにはもっと生産的なことに関わってほしいから。まだ活発に動ける僕を含めて沢山のシニアがいるのですから、僕たちがあまり動けなくなったシニアをサポートしてくべきなのではないかと思うのです。

その具体的なアクションその一が「認知症サポーター養成講座」への応募。

二つ目は、自分自身にも認知症のリスクはあるわけですからそれに対する理解を深めたいという理由です。つまり、自分のため。

自分はまだ十分に体は動きますしスポーツも楽しんでいます。しかし、60を過ぎて衰えを感じることも事実です。やはりそうなると、健康に対する意識は高まります。年齢とともに体が劣化していくのは仕方がないことですが健康に暮らしたい、病気にはなりたくないというのはシニアの共通の願いでしょう。

そのあまたの病の中で最も恐ろしいには認知症ではないでしょうか。少なくとも僕にとって最も恐ろしいのは認知症です。自分が自分でなくなることなど想像もできません。

若年性の認知症というものもありますがそれは稀です。しかしシニアは高齢になればなるほどそのリスクは高まります。当面僕の年齢では発症率は2%程度ですが85歳を越えるともう二人に一人以上が認知症です。他人事ではないのです。

世界的に認知症の患者は増えていますからもちろん製薬会社はそこに大きなビジネスチャンスを見て薬の研究開発にしのぎを削っています。良い薬も開発されてはいるようです。しかしまだ特効薬はない。そもそも高齢になって脳の機能が弱ることが原因なのでしょうから薬で治るものであるのかもわかりません。

この講座への参加が、自分の認知症に対する理解を高める機会になることを期待しています。自分のためと書きましたが、妻や兄弟も一緒に年を取っていくわけで僕の知識は彼らの役にも立つでしょう。

これらの理由で市の講座に応募しました。市側もこの講座のことは結構宣伝しているので抽選漏れの可能性もあります。そしたら次回ですね。






2020年1月12日日曜日

老後不安に関する記事は、本当に不安のある人は読まないのでは?

老後不安に関する記事が多いですね。もしくは、自分がそのような記事をチェックしているので僕のIDでポータルサイトにアクセスると優先的に表示されるのかもしれません。

いずれにせよ、50代、60代の方たちが最も興味を引くことであるのは事実ですから、定年退職後に関する記事は多いようです。

しかし、ほとんどの場合、不安を煽るだけの記事でその内容から何か建設的な提案を見ることは稀です。それでも、ある一定以上のアクセスがあるから老後生活関係の記事は多いのだと思います。

不安を煽るような記事を本当に不安のある人は読むでしょうか?読まないと思います。読んだって面白くない。分かり切ったことを人には言われたくないのが人情です。

それでは誰が読むのか?老後に不安のない人たちが読むのだと思います。他人の不幸は蜜の味、っていうやつですね。

老後の生活に問題がある方が多いようだけど自分は大丈夫、ということをこれらの記事を読むたびに確認する。

でも、本当に安心している人たちはも多分読まない。安心というか、そもそもお金持ちだったら、年金などはした金だし、日々の生活不安などはないと思います。だから老後生活不安の記事などには目が止まらないでしょう。

ですから、老後生活記事に興味を惹かれるのは、自分はお金持ちとは言えないけれど、とりあえずは世間で必要といわれているよりは蓄えはあるし、年金だって平均と言われているよりも若干は多め、の層ではないかと思います。そして尚且つ、インターネットの記事を読む時間的余裕のある人たち。

そして、実際に余裕がある人達が多いから老後の生活不安関連記事は人気なのだと想像します。老後生活不安は叫ばれていますが、いまの50代、60代にはそれほどシリアスな問題ではないと思います。ある程度の余裕がある中間層は厚い。

もちろんそれから外れる層はもちろん存在します。その余裕のない層にフォーカスした記事を余裕がある層が読んでいるのでしょう。

しかし、余裕のない層は確実に増えています。貧困老人がこれから最も大きな社会問題になるという専門家もいます。

それに対して僕たちができることはないのか。シニアを支えるのはシニアであるべきではないのか、と今僕は考えています。僕たちが具体的にできること、それを今考えています。




2020年1月4日土曜日

個人株資産はバブル以上?2020年は黄金の1年になるのか?

日経平均株価の2019年度の終値が、年度末の指数としてはバブル崩壊以降の最高値を付けたことが昨年末に話題になりました。それで株について考えてみました。

バブル時の日経平均は、その時代の象徴のように語り継がれています。しかし、当時のことをインターネットなどで読むと、その最終局面においては、指数だけがどんどん上がり、実際には株のプロ達もそれについていけずただ見ているだけであったようです。まさにバブル。実態からかけ離れた値がついてプロも手を出せなかったのでしょう。

それ以降、少し株が高くなると、直ぐにバブルと声高に叫ぶ人たちがいらっしゃいます。それでは今の株価はどうなのでしょうか。東証上場株のPERとPBRの平均を他の国の同指数と比べると決して高くはないです。適正、それも下の方。PERもPBRも世界平均よりもずっと低いです。

バブルのころはPERなどは40倍が適正と言われていたと記憶しています。今の値は当時の三分の一くらいです。PBRも1.2ですか? つまり、財務諸表上の企業価値と株価がほとんど同じということです。

それで、東証の時価総額を調べました。東証の時価総額は、バブル期のレベルを超えています。下のグラフは自分で作ってみました。
日経平均株価が最高値より40%低く、総額がそれ以上ということは、発行済み株数がそれだけ多くなっているということです。だいたい1.6倍くらいになっているのでしょう。

株数が多かろうが総額は超えています。統計によると、1989年末の時価総額は611兆円、昨年度末の総額は673兆円です。約10%増えています。

個人投資家の資産も同じような状況なのでしょうか?

個人株主比率は1989年23%に対して、最情報である(僕が調べた限りでは)2018年末は22%です。ほとんど変わりません。単純に考えれば、個人レベルの株資産もバブルよりも1割近く増えているということです。

みんなが利益を上げているのかどうかはわかりません。しかし、資産レベルはバブル以上。それで、現状はバブルではないのです。

このような状況で、株価が本当にバブルを目指したらどうなるか?個人投資家の資産は、かつてないレベルになるということです。そして、個人投資家主比率が高いのが60代なのです。

すと、ここまで書いて更新せずにおいたらアメリカのイラン攻撃のニュースが。両国の関係悪化でダウも急落したようです。大発会の日経平均も下がるでしょうね。

しかし、今年の株価予想は概ね明るいようです。今年も株高になれば、その恩恵を最も受けるのが個人投資家比率の高い60代。もしかしたら60代シニアにとって黄金の2020年になるかもしれないですね。

楽観的かもしれないですけど。なにより、楽観的に生きることがシニアにとっては大事なのだ、と最近思っています。

2020年1月2日木曜日

2020年正月、五輪の記憶と新年の誓い。

2020年になりました。今年は東京オリンピックの年です。

僕たちの世代は、小学校に入学した年が1964年で、前回の東京五輪の年でした。

オリンピックの後に、クラスの全員がオリンピックの絵を描かされました。先生がそれを壁に張りだしたので、もしかすると冬休みの宿題だったかもしれません。前回の東京五輪は10月10日が開幕でしたから、冬休みの宿題でもおかしくはない。

それで、張り出された皆の絵を見ると、ほとんど全員が、聖火が灯される瞬間、もしくはその直後の絵でした。絵として描くにはそれが最も簡単な構図だったのです。みんな考えることは同じなんだなと思って、それがとてもおかしくって、今でもそれを覚えているのです。

1964年の五輪は懐かしいような気がするのですが、僕が明確に覚えているのは、この五輪の絵のことだけです。まだ小学校一年生でしたから五輪期間中にテレビで日本を応援した記憶はないのです。

僕の五輪の記憶はその次のメキシコ五輪から。メキシコ五輪は、母親に朝日グラフの五輪特集を買ってもらってすべての写真を繰り返し見ました。最も記憶に残っているのは、あのあまりにも有名な男子200mの表彰式の写真です。

彼らは、当時のアマチュアリズムの権化言われたブランデージIOC会長からから、政治的パフォーマンスを行ったという理由で五輪を追放されたのですが、ぼくはただカッコイイと思ってその写真を見ていました。

それ以降、スポーツ観戦好きの僕は冬も夏も毎回オリンピックをテレビで楽しんできました。

今回の五輪ではどうなるんでしょうか。そして自分にとっての2020年はどんな年になるんだろう。

元旦の朝食時にも、息子もそんなことを話していたから、父として、それは自分次第、と応じた。そう、有意義な年になるかどうかは自分次第なのです。

新年の計は元旦にあり、などといって今年の目標などを立てたりしますが、できない目標を立てても意味がない。自分が息子に言いたかったことは、自分の置かれた立場で全力を尽くせ、ということです。

彼はまだ学生ですから、学業に励むことが大事。そうすればおのずと道は開ける。

自分は、まだサラリーマン。サラリーマン生活をマラソンに例えれば、自分はいま41kmを過ぎたあたりを走っている。だから僕の場合は、メンタルを含めた健康に留意して、完走を目指すことが今年の第一の目標になるのでしょう。

実際は、今年やりたいことはたくさんあるのだけど、それは文字にせず自分の気持ちの中にとどめたいと思います。毎日気持ちよく生活できれば、おのずと時間は有意義に使えるし多くのことができると思うのです。

だから、何よりもまずは健康であること、それが元旦の朝の新年の誓いです。




日本の不幸、新コロナも政権批判の道具にされてしまう。

先週安倍首相が政府の新コロナウイルス対策をテレビを通じて国民に説明しました。僕の感想は可もなく不可もなくってところでした。もう少し早くこのような機械を持つべきではなかったかと思いますが準備が整わなかったのかもしれません。 そして、やはりというか、さっそく野党は批判のコメントを...