2019年9月21日土曜日

雇用延長と存在の耐えられない軽さ。

僕は一年半前に60歳になり、退職金を受け取ったうえで再雇用されているサラリーマンです。給料は下がりましたが世で言われているほどではなく、家族と暮らしていくには十分です。この点に関しては会社に感謝しています。

しかし、やはり、自分に対する期待値というのは、当たり前ではありますが、それ以前のものとは違います。この一年半、絶えず周囲の自分に対する期待値に合わせて自分の仕事のレベルを下げてきました。やっと最近になって自分の仕事のやりかたが周囲の期待値とあってきたかなと思います。それはもうほとんど仕事をしない状態に近いです。正直、毎日2、3時間も仕事はしていません。それで十分。仕事を退職する前というのはこんな感じなんでしょうか。

僕は一度リストラされています。40代の前半に本社の管理職から地方の研究所に転勤させられたことがあるのです。この際に役職と給料が下げられることはありませんでしたが、仕事は派遣社員ですら躊躇してしまうようなものでした。それでも普段は家族を養うためと割り切っていたので自分の感情を抑えて勤務していました。しかし、かつて仕事を一緒にやっていた方たちが研究所に出張してくる際は非常につらかったです。存在の、というか、社内での自分の立場の耐えられない軽さに苦しみました。

そのような状態から脱するため、わずかでもチャンスがあればその機会を使って自分をアピールし、いくつかの幸運もあり研究所でまた管理職に復帰することはできました。そして、そこで役職を退任し本社に戻り今の部署で働いています。

そのリストラ体験に比べればいまの仕事のダウングレードは辛くはないです。ただ、自分の存在がどんどん薄くなっていくことに寂しさを感じます、自分はまだ仕事はできますから。しかし、それに抗うことはもうできません。これはかつてのリストラとは違う。引き際です。周囲に迷惑をかけることなく、静かにフェイドアウトしなければなりません。

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