2020年3月7日土曜日

日本の不幸、新コロナも政権批判の道具にされてしまう。

先週安倍首相が政府の新コロナウイルス対策をテレビを通じて国民に説明しました。僕の感想は可もなく不可もなくってところでした。もう少し早くこのような機械を持つべきではなかったかと思いますが準備が整わなかったのかもしれません。

そして、やはりというか、さっそく野党は批判のコメントを発表しましたし、マスコミの論調も批判的でした。いつものことなので特に驚きもありません。

しかし、いやしくも国会運営に関わっている国民の代表である国会議員の方たちが首相の説明を採点するがごとく、不可であるというようなコメントを流すのはどうなのだろうか。新コロナに国民一丸となって戦おうという気がそがれたような気がしたのも事実です。

首相の会見から1週間経過しましたが状況はあまり変わりません。マスコミは基本的に政府の決定によって生じた負の部分ばかりを報じている。そういう下地を作って、そこに政権批判を絡ませているように見えます。

しかし、今国民が知りたいのは、どうやってこの新ウイルスに打ち勝つかということなのだと思います。マスコミはこの国民の本当の要求には答えていない。

事実だけを報道するにしても、このウイルスに対して具体的に戦っているポジティブな人たちの話や姿を国民に知らせれば雰囲気はずいぶん変わってくると思う。完治した人の話も知りたい。これは言論統制というのとは全く違う。マスコミ各社の姿勢の問題です

新コロナは日本だけの問題ではないが、やはり国難というべきだと思います。国難に対しては国民が一丸となって戦うべきではないのでしょうか。こういうと、それは大政翼賛だという輩は絶対に出てくるだろうと思います。そして言論の自由だ、思想の自由だと言いだすのです。

これは日本の不幸だと思います。会社で会社の利益のために頑張ろうといって反対する人はいないでしょう。国家も会社のようなものです。高邁な政治的思想だけで成り立った国家などないのです。衣食住足りてやっと国家は成り立つのです。そのためには国として経済的にも発展し、国家予算の経済的な収支をつけなければならならないですから国家としての利益はとても大事なのです。

今は国の利益と国民の安全を国民が一丸となって守るよう行動しなければならない時だと思います。しかし現状は、マスコミは新コロナも、結局は何が問題だかよく分からなかったモリカケや、宴会の領収書かなにかが問題だという桜の会と同様に政権批判の道具にしている。

国難にあたり国民の一致団結を求めようにも、マスコミ及び野党が重箱の隅をつつくような、体制に影響のない些細な事項における失態を徹底的に追及するという姿勢である以上、政府もそれ相応の対応をせざる得ないでしょう。

政府の対応が後手後手に見えるのはマスコミ対策もしなければならないからだと思います。素早い対応をすれば安倍独裁と批判するのは目に見えている。学校閉鎖がそうです。慎重に対応すれば、決断力がない、無能なリーダーを持つ不幸、といって批判する。

批判には勇気がいるし、批判した事実に対してそれ相応の責任を持たなければならないということは社会の常識だと思う。しかしマスコミや野党という人種はそういう常識は通用しないようです。無責任な批判家です。そういう人たちが堂々と世論作成の一翼を担うことが許されている。これって日本の不幸の一つだと思っています。


2020年2月29日土曜日

新コロナ、マスコミが生み出した目に見えないモンスター。

世の中は新コロナウイルス一色です。北海度では、外出さえ控えるよう知事から道民に呼びかけがありました。首相による学校の休校依頼と共に前代未聞の事態になってきました。

全て新コロナの感染を抑えるためのものです。しかし、ここまでやる必要があるのかと、多くの国民は思っているでしょう。しかし、新コロナの騒動を感染拡大防止を含めて収束させるにはこのような思い切った対策は必要だと思います。ここまでしなければ収まらないとも思います。
 
現状は、いたって平穏です。新コロナは、エボラウイルスでもないし、近世までのペスト菌ほどの脅威はありません。罹ってしまうとほぼ助からないという殺人ウイルスではありません。

ほとんどの人は新コロナウイルスと接触しても病気になりません。中国のデータでは、発熱し新コロナ感染が確認されても80%の人は軽症です。

中国でのコロナ感染者の死亡率は確か2%です。これは風邪が治らず発熱が続いて新コロナ感染が確認された患者さんを対象とした確率です。中国の統計ですから実際はもっと高いという考え方もあるようですが、自分では感染に気がつかずに治癒してしまった人も相当数いるはずですから、それらをを含めれば死亡率ははるかに低い可能性だって高いです。

しかし、いま日本国民は新コロナに翻弄されています。これは新しい恐怖だと思います。マスコミの作り出した目に見えない恐怖です。

毎日毎日クルーズ船の感染者の数をトップニュースで流し、国内の感染者が確認されれば臨時ニュースを流し、死者が出れば大騒ぎです。毎日このようなニュースを見せられれば誰でも不安になります。単純に感染者の増加のみを報道すれば国民に不安が広がるのは当然です。しかし、そんなに危険なのか?

政府は当初は穏便に対処する方針でした。しかし、加熱するマスコミの報道でこの方針が許されない状況になってきたように見えました。

きちんとデータを示して、日本の医療体制を持ってすれば新コロナは遅るに足りないという説明ができればよかったのでしょうが、それができる状況ではなくなっていました。新コロナによる死者が報道されれば、普通の肺炎によって毎年何万人ものご老人が亡くなっているという事実があったとしても、それを取るに足らないと言えるわけがありません。

実際、多くの国民は当初の政府の方針を支持していたと思います。しかしマスコミはそうでなかった。

無責任なコメンテーターがとにかく政府批判、安倍批判です。まったく何が問題か結局はわからなかったモリカケ、確かにミスはあったかもしれないけどたかだか宴会ごとの桜の会。一国の首相に宴会の明細で質疑応答させて何になるんです。ばからしい。その流れで、新コロナも政府批判の材料にした。

しかし、現在進行形のウイルスの拡散に関わる新コロナは、モリカケと桜の会とは違います。全国民の日々の健康と生命に関わることです。マスコミは政府にとっては不利になる情報を流し続け、政府批判を繰り返しているうちに新コロナは目に見えない実体のないモンスターになってしまった。

実体はないけれど、実際の国民の生活に影響を及ぼしているモンスターを打ち倒すためには思い切った手段が必要です。首相の学校休校の依頼はその意味もあると思っています。もちろん、新コロナの拡散防止が第一の目的であることは明らかですが、モンスターとなってしまった風評を封じ込める必要もあるのです

休校の依頼は、マスコミも、マスコミと共に政府批判だけをしている立憲民主党を中心として野党グループも予見しなかったでしょう。有効な一手だったとおもいます。

いま事態はまったく別の方向に動いています。政府によるモンスター封じ込め作戦は機能しています。この方針も野党とマスコミの批判にはさらされるでしょうがモンスターが消え去ればあとはコントロール可能なレベルのものだと思います。いつものことですから。

マスコミが世論を先導して作り上げた新コロナモンスターは、心理学者、社会学者、政治学者などの各分野の専門家によって徹底的に分析されるべきことだと思います。ことをここまでの事態にしてしまったマスコミを今後どう考えていくべきなのか、非常に重大な課題を残したのではないでしょうか。











2020年2月28日金曜日

自宅待機。3.11と異なるのはテレワーク。

新コロナの政府方針に沿う形で、僕の働く会社でも、在宅勤務が可能な社員は三月半ばまで出社を控えることになりました。

僕の業務は基本的に在宅勤務にあうので、既に週に一度はテレワークをしています。ですから二週間以上の会社に出社しなくても全く問題はありません。しかし、なんとなくあの3.11の自宅待機を連想してしまいました。

新コロナの被害は今のところ大惨事というほどではありません。亡くなられている方がいるので不謹慎な言い方かもしれませんが、高齢者の方にとっては普通の風邪も新コロナに劣らないほどの脅威なのです。肺炎は80代の高齢者の死因の第三位ですから、同時期に普通の風邪による肺炎で亡くなられている方はおそらく新コロナより何千倍も多いはずです。

しかし、この先どうなってしまうのか、この不安を抱えながら自宅待機している感覚が3.11日の際の出社できなかった時の心情に近いように思います。外出が憚られる不自由さ。日本経済が大打撃を受けてしまうかもしれないという不安。

新コロナへの感染自体は正直言ってあまり気にしていません。大丈夫だと思っています。風邪にかからなければよいのです。60年も生きてくるとどんな時に風邪にかかるかだいたいわかる。疲れているときです。その際に無理をしたり、体を冷やしてしまうと風邪をひいてしまう。ですから、疲れないように、体を冷やさないようにしています。在宅勤務は通勤がないので、疲れないという点においては優れた勤務体系です。

だから3.11当時の不安はこんなものではなかったはずです。9年も前のことなので記憶が薄れているのでしょう。

そして今回は仕事自体への不安もない。3.11と今回の自宅待機で決定的に違うのはテレワークです。3.11の際も僕はパソコンを持ちかえっていましたが会社が全面的に休みになりました。在宅での勤務は当時はあまり一般的ではありませんでしたし、セキュリティーの面からも推奨はされていませんでした。会社が導入を決めたのは確か2015年だったとおもいます。

テレワークが可能になったのは、ITの進歩のおかげです。通信とクラウドの技術の進歩には目を見張るものがあります。僕は素人ですからわからないのですがセキュリティーの技術もそれに伴って上がっているのでしょう。

クラウドの技術の進歩により物理的なデータの保管場所の制約が少なくなりました。どこにいても誰とでも同じファイルを共有できます。同時更新も可能です。一昔前は、こんなことは大金を払ってプログラムを作成してもらわなければ不可能でした。それが今はだれでも簡単にできるのです。

また、通信の進歩によって、パソコン経由での電話やパソコン画面の共有が飛躍的に改善されました。パソコン経由で会議をし、画面上に同じエクセルファイルを表示し、こちらと向こうでデータを入力したり変更し、それがそのままクラウドに保存されるのです。

IT技術はもう物理的なオフィスを必要としないレベルまで進歩してしまっています。あとはそれをどう使う側が認識するだけだと思います。今回の新コロナ騒動は若しかしたらそのきっかけになるかもしれません。こういう災難もITにとってはチャンスになってしまうのですね。





2020年2月16日日曜日

新コロナウィルス、何が問題なの?

ここ数日は暖かいですね。先週は寒かったですが今年は概ね暖冬で、そのおかげもあり今年はインフルエンザは流行していないようです。毎年インフルエンザの予防接種は受けていますが、それにもかかわらずインフルエンザに感染してしまうこともありました。この様子ですと、今年は大丈夫でしょう。

その代わり、今年は新コロナウィルスの話題で持ちきりです。しかし、僕は何が問題なのかよく分からない。

僕の理解は、新型だから基本的にみんな抗体を持っていない。だからこのウイルスが蔓延すると簡単に風邪のような症状になってしまうリスクがあり、初期の処置を誤ると肺炎になってしまう確率が高いから危ない、です。

僕は、初期対応を誤らなければ、容易に治癒する病気だと思っています。肺炎は恐ろしい病気で、毎年何万にもの高齢者の方が亡くなっています。65歳以上ですと、死因の三位か四位だったと思います。ですから肺炎になる前に直せば普通の風邪と変わらないはず。

しかし、マスコミの扱いはまるでエボラウイルスのようです。マクロで見れば、普通の風邪の肺炎の方が全然怖いのに。平均すれば、毎日数百人もの方が新コロナを原因としない肺炎で亡くなっています。中国だって、普通の風邪で毎日何万人も亡くなっていると思います。何といっても人口が多いですから。

新型ですから特効薬がまだ開発されていないという事実はあります。ウイルスとしてはインフルエンザの方が全然強いようですが特効薬があります。インフルエンザにかかっても、タミフルとかイナビルを服用すればすぐに熱は下がります。

新コロナは対応が確立されていませんから、その辺での不気味さはあります。しかしこの点については、風邪全般がそうとも言えます。風邪の特効薬はないと聞いたことがあります。そうすると新コロナの特効薬は期待できないのかな。

新コロナのリスクは、感染当初は風邪のような症状であるという点です。ふつう、風邪くらいだと少し無理して働いてしまう。そこで悪化させてしまうと確かに怖いかもしれない。

ですから、ここしばらくは、風邪のような症状を感じたら全力を挙げて回復を図るべきです。無理をせず、体を休める。会会社も休む。そして病院に行き、効きの良い薬を処方してもらう。風邪として治せば普通の風邪のはずです。国も自治体もマスコミも、毎日何人新コロナが発症したと騒ぐより、風邪を引いたら会社を休みましょうという啓蒙をした方がよいと思う。これも働き方改革です。健康でないとよい仕事はできませんし。

この大騒ぎの背景には何か別の意図があるような気がする。いくつかの可能性が報道されていますけど今の時点では何もわかりません。僕の会社の経営陣は、この機を出張費の削減に利用しています。我が家も何となく外出を控えています。いずれにせよ、この騒ぎも、桜が咲くころにはもう過去の話になっているでしょう。





2020年1月25日土曜日

出雲と大和展に行く

昨日は仕事をかなり早めに切り上げて東京上野の国立博物館で開催中の出雲と大和展に行ってきました。

平日の四時前の入館でしたから入場時はすいていました。夕方になるにしたがって人の数は増えてきましたが、自由に見て回るのには不自由しない程度の込み具合でした。

テーマとしては地味ですが、博物館通いが好きな方なら見逃せない内容です。

東京国立博物館の特別展は総じてレベルが高く満足度は高いのですが、そのなかでも今回の展示は密度が濃いように感じました。言い換えれば、自分が見たいものがぎっしり詰まっていました。

この展示のメインは荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡からの銅剣、銅矛そして銅鐸です。その数に圧倒されました。また他の場所から出土した絵付きの銅鐸も展示されておりこれらも非常に興味深い物でした。

展示の入り口に置かれている宇豆柱も圧巻です。三本の巨木をまとめて直径3mの柱として使われたものの出土品でそれがそのまま展示されています。

それを示す造営図が長く伝えられていたのですが、それが示す本殿があまりに巨大でその信ぴょう性が疑われていたのです。しかし、この宇豆柱の出土によりその設計図の価値が一気に高まったそうです。こういう話は、好きです。

それに基づいた本殿の十分の一模型も展示されています。これも出雲市から借りて来たようです。あまり大きく紹介されていませんが、この模型も満足度が高いです。

柱の出土品と造営図とそれに基づいた模型。これらが全て一つの展示室で見れるのです。さすが東京の国立博物館です。

それから、卑弥呼が魏から贈られた鏡の一つかもしれないといわれている、神原神社古墳から出土した景初三年の文字付きの三角縁神獣鏡も展示されていました。卑弥呼が使節を派遣したのが景初三年なんですね。この文字も拡大鏡で確認。感動です。

三世紀ころといわれる黒塚古から出土した三角縁神獣鏡33面もすべて展示です。

四隅突出型墳丘墓関連の展示もありました。出土品と西谷古墳の上空からの映像。この出雲地方独特の古墳は大和朝廷型の前方後円墳に移行していくのです。

ここまでで展示の半分です。僕としてはここまでで充分。四隅突出型墳丘の出土品まで見れると思っていなかったので大満足でした。

ここで休憩して、もちろん残りの半分も見て帰りました。この特別展は三月まで続くのでもう一度見に行ってもいいかなと思っています。

2020年1月13日月曜日

認知症について。

僕の住む市で「認知症サポーター養成講座」というものが開かれるようなので参加を申し込みました。定員があり多数の場合は抽選とのことです。市から招待状がメールで届けば、平日の午後に開かれる講座ですが、半休を取って参加します。

僕がこの口座に興味を持ったのは二つの理由によります。

先ずは、昨日の日記に書いた、シニアはシニアがサポートするべきではないか、という考えに対する一つの具体的アクション、という理由。

そのサポーターというのがどういうものなのか今は全く分かりませんが、何らかの形で微力であっても自分が貢献できるのであれば検討してみたいです。

後期高齢者を前期高齢者が支援していければ、これからより深刻化していく高齢者問題を幾分か軽減できるのではないかと思うのです。若い人たちにはもっと生産的なことに関わってほしいから。まだ活発に動ける僕を含めて沢山のシニアがいるのですから、僕たちがあまり動けなくなったシニアをサポートしてくべきなのではないかと思うのです。

その具体的なアクションその一が「認知症サポーター養成講座」への応募。

二つ目は、自分自身にも認知症のリスクはあるわけですからそれに対する理解を深めたいという理由です。つまり、自分のため。

自分はまだ十分に体は動きますしスポーツも楽しんでいます。しかし、60を過ぎて衰えを感じることも事実です。やはりそうなると、健康に対する意識は高まります。年齢とともに体が劣化していくのは仕方がないことですが健康に暮らしたい、病気にはなりたくないというのはシニアの共通の願いでしょう。

そのあまたの病の中で最も恐ろしいには認知症ではないでしょうか。少なくとも僕にとって最も恐ろしいのは認知症です。自分が自分でなくなることなど想像もできません。

若年性の認知症というものもありますがそれは稀です。しかしシニアは高齢になればなるほどそのリスクは高まります。当面僕の年齢では発症率は2%程度ですが85歳を越えるともう二人に一人以上が認知症です。他人事ではないのです。

世界的に認知症の患者は増えていますからもちろん製薬会社はそこに大きなビジネスチャンスを見て薬の研究開発にしのぎを削っています。良い薬も開発されてはいるようです。しかしまだ特効薬はない。そもそも高齢になって脳の機能が弱ることが原因なのでしょうから薬で治るものであるのかもわかりません。

この講座への参加が、自分の認知症に対する理解を高める機会になることを期待しています。自分のためと書きましたが、妻や兄弟も一緒に年を取っていくわけで僕の知識は彼らの役にも立つでしょう。

これらの理由で市の講座に応募しました。市側もこの講座のことは結構宣伝しているので抽選漏れの可能性もあります。そしたら次回ですね。






2020年1月12日日曜日

老後不安に関する記事は、本当に不安のある人は読まないのでは?

老後不安に関する記事が多いですね。もしくは、自分がそのような記事をチェックしているので僕のIDでポータルサイトにアクセスると優先的に表示されるのかもしれません。

いずれにせよ、50代、60代の方たちが最も興味を引くことであるのは事実ですから、定年退職後に関する記事は多いようです。

しかし、ほとんどの場合、不安を煽るだけの記事でその内容から何か建設的な提案を見ることは稀です。それでも、ある一定以上のアクセスがあるから老後生活関係の記事は多いのだと思います。

不安を煽るような記事を本当に不安のある人は読むでしょうか?読まないと思います。読んだって面白くない。分かり切ったことを人には言われたくないのが人情です。

それでは誰が読むのか?老後に不安のない人たちが読むのだと思います。他人の不幸は蜜の味、っていうやつですね。

老後の生活に問題がある方が多いようだけど自分は大丈夫、ということをこれらの記事を読むたびに確認する。

でも、本当に安心している人たちはも多分読まない。安心というか、そもそもお金持ちだったら、年金などはした金だし、日々の生活不安などはないと思います。だから老後生活不安の記事などには目が止まらないでしょう。

ですから、老後生活記事に興味を惹かれるのは、自分はお金持ちとは言えないけれど、とりあえずは世間で必要といわれているよりは蓄えはあるし、年金だって平均と言われているよりも若干は多め、の層ではないかと思います。そして尚且つ、インターネットの記事を読む時間的余裕のある人たち。

そして、実際に余裕がある人達が多いから老後の生活不安関連記事は人気なのだと想像します。老後生活不安は叫ばれていますが、いまの50代、60代にはそれほどシリアスな問題ではないと思います。ある程度の余裕がある中間層は厚い。

もちろんそれから外れる層はもちろん存在します。その余裕のない層にフォーカスした記事を余裕がある層が読んでいるのでしょう。

しかし、余裕のない層は確実に増えています。貧困老人がこれから最も大きな社会問題になるという専門家もいます。

それに対して僕たちができることはないのか。シニアを支えるのはシニアであるべきではないのか、と今僕は考えています。僕たちが具体的にできること、それを今考えています。




日本の不幸、新コロナも政権批判の道具にされてしまう。

先週安倍首相が政府の新コロナウイルス対策をテレビを通じて国民に説明しました。僕の感想は可もなく不可もなくってところでした。もう少し早くこのような機械を持つべきではなかったかと思いますが準備が整わなかったのかもしれません。 そして、やはりというか、さっそく野党は批判のコメントを...