2019年10月22日火曜日

日本が好きと言えるようになったのは40歳手前だった。

本日は即位礼正殿の儀です。で、僕は有給休暇を取得して休んでいます。僕の勤める会社は、労使(?)の取り決めで休日を増やすことができないので有給で休むよう指示があったのです。かつての自分だったら会社のこの指示にはかなり反発を感じたと思います。なぜ天皇制の維持のための儀式に自分が付き合う必要があるのかと。

しかし、今の自分は日本の将来を案じる愛国者です。少なくともそう思っています。万世一系といわれる天皇制も日本が誇れるものです。古墳から発掘された刀銘から、五世紀半ばの雄略天皇の存在は歴史研究的にほぼ確定している。こんな長い歴史を誇る国は他にありません。

僕が初めて「自分が日本が好きだ」と自分自身に言えるようになったのは40歳少し手前でした。サッカーW杯フランス大会のアジア第三代表をかけたジョホーバルでの対イラン戦で日本が勝利してW杯の初出場を決めたとき、自分は日本国民なのだということを強く実感しのでした。日本人でよかったと思えた瞬間でした。そして、スタジアムで歓喜しているサポーターと今テレビの前で感動している自分をつなぐものは同じ日本人であるという事実意外にはなかったのです。

それまでも五輪などで日の丸が上がれば誇らしくはあったのですが何処かでためらいがありました。個人差はありますが僕の世代ではそういった方たちは結構いるのではないかと思っています。これは当時の教育現場の影響が大きいのではないでしょうか。

いまでは学校のイベントでの国旗掲揚と国歌斉唱はあたりまえですが僕たちの頃はそうではありませんでした。僕は中学から高校まで国旗掲揚と国歌斉唱の経験はありません。

僕が公立学校時代を過ごした1964年から1977年までの公立学校における国旗掲揚と国歌斉唱の正確な記録はインターネットでは見つけられませんでした。唯一口コミサイトがあり、そこの書き込みをから推測するり実施校は半分くらいかな。もっと少なかった可能性もあります。当時の教育現場に力のあった日教組にとっては、日本のアジア侵略は日の丸のもとに行われたのであり、君が代は軍国主義教育の強制と抑圧の象徴であったのです。過半数の学校は日教組との不毛な対立を避けたと想像します。そして僕たちはそういう思想を持った先生たちに教えられていた。

今は日教組は弱体化したようです。また、より左翼的なグループは1989年に日教組の右化(?)を嫌って袂を分かったようです。そして法律も整い、一部の例外もありますが、ほぼ100%の学校で入学式と卒業式では日の丸の掲揚と国歌の斉唱が行われています。これに政治的な意味を感じる児童・生徒もほとんどいないでしょう。今の若者たちは、素直に日本が好きと言えているように見えるのはこういう環境もあると思います。これは間違いなく僕たちの時代よりも健全だ。だから、今の若者が作っていく将来の日本は今より素晴らしい国に違いないと僕は思うのです。




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