2019年10月6日日曜日

なぜ暇が苦痛なのか。

本日は何の用事もない日曜日でした。「蜜蜂と遠雷」という映画を見に行く予定を立てていましたが世界陸上のマラソンを見るために早起きしてしまいちょっと寝不足気味。妻が映画に行ったらきっと寝てしまうというのでこの予定はやめました。

何もしない休日は珍しいことではありません。しかし最近はこの何もしない休日が暇で仕方がありません。とても無駄なことをしているような気がしています。なぜなのか?それはおそらく、暇な休日が未来につながっていないからではないかと思うのです。

60までは何もない休日は忙しい平日に備えるための休養日だった。また、何もしないとは言っても自宅のソファに座って仕事の問題解決の策を練ったり、仕事に必要なスキルの獲得のために時間を使ったりしていました。例えば英会話とかですね。休日は仕事につながっていたのです。

60以降は周囲の期待値が格段に低くなった事実に伴って僕の仕事に対するコミットメントは下がり続けています。今は自宅で仕事のことを考えることはまったくありません。仕事に必要な勉強もしかり。給料をもらっている以上、会社にそれ相応の貢献をしようとは思います。でも、仕事への向上心はもうありません。休日の後には暇な平日が待っているだけです。休養なら、オフィスでできる。

このままでは20年、25年とこのような日が続いてしまう。そう考えるとなんというか焦りを感じてしまうのです。


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