2020年3月7日土曜日

日本の不幸、新コロナも政権批判の道具にされてしまう。

先週安倍首相が政府の新コロナウイルス対策をテレビを通じて国民に説明しました。僕の感想は可もなく不可もなくってところでした。もう少し早くこのような機械を持つべきではなかったかと思いますが準備が整わなかったのかもしれません。

そして、やはりというか、さっそく野党は批判のコメントを発表しましたし、マスコミの論調も批判的でした。いつものことなので特に驚きもありません。

しかし、いやしくも国会運営に関わっている国民の代表である国会議員の方たちが首相の説明を採点するがごとく、不可であるというようなコメントを流すのはどうなのだろうか。新コロナに国民一丸となって戦おうという気がそがれたような気がしたのも事実です。

首相の会見から1週間経過しましたが状況はあまり変わりません。マスコミは基本的に政府の決定によって生じた負の部分ばかりを報じている。そういう下地を作って、そこに政権批判を絡ませているように見えます。

しかし、今国民が知りたいのは、どうやってこの新ウイルスに打ち勝つかということなのだと思います。マスコミはこの国民の本当の要求には答えていない。

事実だけを報道するにしても、このウイルスに対して具体的に戦っているポジティブな人たちの話や姿を国民に知らせれば雰囲気はずいぶん変わってくると思う。完治した人の話も知りたい。これは言論統制というのとは全く違う。マスコミ各社の姿勢の問題です

新コロナは日本だけの問題ではないが、やはり国難というべきだと思います。国難に対しては国民が一丸となって戦うべきではないのでしょうか。こういうと、それは大政翼賛だという輩は絶対に出てくるだろうと思います。そして言論の自由だ、思想の自由だと言いだすのです。

これは日本の不幸だと思います。会社で会社の利益のために頑張ろうといって反対する人はいないでしょう。国家も会社のようなものです。高邁な政治的思想だけで成り立った国家などないのです。衣食住足りてやっと国家は成り立つのです。そのためには国として経済的にも発展し、国家予算の経済的な収支をつけなければならならないですから国家としての利益はとても大事なのです。

今は国の利益と国民の安全を国民が一丸となって守るよう行動しなければならない時だと思います。しかし現状は、マスコミは新コロナも、結局は何が問題だかよく分からなかったモリカケや、宴会の領収書かなにかが問題だという桜の会と同様に政権批判の道具にしている。

国難にあたり国民の一致団結を求めようにも、マスコミ及び野党が重箱の隅をつつくような、体制に影響のない些細な事項における失態を徹底的に追及するという姿勢である以上、政府もそれ相応の対応をせざる得ないでしょう。

政府の対応が後手後手に見えるのはマスコミ対策もしなければならないからだと思います。素早い対応をすれば安倍独裁と批判するのは目に見えている。学校閉鎖がそうです。慎重に対応すれば、決断力がない、無能なリーダーを持つ不幸、といって批判する。

批判には勇気がいるし、批判した事実に対してそれ相応の責任を持たなければならないということは社会の常識だと思う。しかしマスコミや野党という人種はそういう常識は通用しないようです。無責任な批判家です。そういう人たちが堂々と世論作成の一翼を担うことが許されている。これって日本の不幸の一つだと思っています。


2020年2月29日土曜日

新コロナ、マスコミが生み出した目に見えないモンスター。

世の中は新コロナウイルス一色です。北海度では、外出さえ控えるよう知事から道民に呼びかけがありました。首相による学校の休校依頼と共に前代未聞の事態になってきました。

全て新コロナの感染を抑えるためのものです。しかし、ここまでやる必要があるのかと、多くの国民は思っているでしょう。しかし、新コロナの騒動を感染拡大防止を含めて収束させるにはこのような思い切った対策は必要だと思います。ここまでしなければ収まらないとも思います。
 
現状は、いたって平穏です。新コロナは、エボラウイルスでもないし、近世までのペスト菌ほどの脅威はありません。罹ってしまうとほぼ助からないという殺人ウイルスではありません。

ほとんどの人は新コロナウイルスと接触しても病気になりません。中国のデータでは、発熱し新コロナ感染が確認されても80%の人は軽症です。

中国でのコロナ感染者の死亡率は確か2%です。これは風邪が治らず発熱が続いて新コロナ感染が確認された患者さんを対象とした確率です。中国の統計ですから実際はもっと高いという考え方もあるようですが、自分では感染に気がつかずに治癒してしまった人も相当数いるはずですから、それらをを含めれば死亡率ははるかに低い可能性だって高いです。

しかし、いま日本国民は新コロナに翻弄されています。これは新しい恐怖だと思います。マスコミの作り出した目に見えない恐怖です。

毎日毎日クルーズ船の感染者の数をトップニュースで流し、国内の感染者が確認されれば臨時ニュースを流し、死者が出れば大騒ぎです。毎日このようなニュースを見せられれば誰でも不安になります。単純に感染者の増加のみを報道すれば国民に不安が広がるのは当然です。しかし、そんなに危険なのか?

政府は当初は穏便に対処する方針でした。しかし、加熱するマスコミの報道でこの方針が許されない状況になってきたように見えました。

きちんとデータを示して、日本の医療体制を持ってすれば新コロナは遅るに足りないという説明ができればよかったのでしょうが、それができる状況ではなくなっていました。新コロナによる死者が報道されれば、普通の肺炎によって毎年何万人ものご老人が亡くなっているという事実があったとしても、それを取るに足らないと言えるわけがありません。

実際、多くの国民は当初の政府の方針を支持していたと思います。しかしマスコミはそうでなかった。

無責任なコメンテーターがとにかく政府批判、安倍批判です。まったく何が問題か結局はわからなかったモリカケ、確かにミスはあったかもしれないけどたかだか宴会ごとの桜の会。一国の首相に宴会の明細で質疑応答させて何になるんです。ばからしい。その流れで、新コロナも政府批判の材料にした。

しかし、現在進行形のウイルスの拡散に関わる新コロナは、モリカケと桜の会とは違います。全国民の日々の健康と生命に関わることです。マスコミは政府にとっては不利になる情報を流し続け、政府批判を繰り返しているうちに新コロナは目に見えない実体のないモンスターになってしまった。

実体はないけれど、実際の国民の生活に影響を及ぼしているモンスターを打ち倒すためには思い切った手段が必要です。首相の学校休校の依頼はその意味もあると思っています。もちろん、新コロナの拡散防止が第一の目的であることは明らかですが、モンスターとなってしまった風評を封じ込める必要もあるのです

休校の依頼は、マスコミも、マスコミと共に政府批判だけをしている立憲民主党を中心として野党グループも予見しなかったでしょう。有効な一手だったとおもいます。

いま事態はまったく別の方向に動いています。政府によるモンスター封じ込め作戦は機能しています。この方針も野党とマスコミの批判にはさらされるでしょうがモンスターが消え去ればあとはコントロール可能なレベルのものだと思います。いつものことですから。

マスコミが世論を先導して作り上げた新コロナモンスターは、心理学者、社会学者、政治学者などの各分野の専門家によって徹底的に分析されるべきことだと思います。ことをここまでの事態にしてしまったマスコミを今後どう考えていくべきなのか、非常に重大な課題を残したのではないでしょうか。











2020年2月28日金曜日

自宅待機。3.11と異なるのはテレワーク。

新コロナの政府方針に沿う形で、僕の働く会社でも、在宅勤務が可能な社員は三月半ばまで出社を控えることになりました。

僕の業務は基本的に在宅勤務にあうので、既に週に一度はテレワークをしています。ですから二週間以上の会社に出社しなくても全く問題はありません。しかし、なんとなくあの3.11の自宅待機を連想してしまいました。

新コロナの被害は今のところ大惨事というほどではありません。亡くなられている方がいるので不謹慎な言い方かもしれませんが、高齢者の方にとっては普通の風邪も新コロナに劣らないほどの脅威なのです。肺炎は80代の高齢者の死因の第三位ですから、同時期に普通の風邪による肺炎で亡くなられている方はおそらく新コロナより何千倍も多いはずです。

しかし、この先どうなってしまうのか、この不安を抱えながら自宅待機している感覚が3.11日の際の出社できなかった時の心情に近いように思います。外出が憚られる不自由さ。日本経済が大打撃を受けてしまうかもしれないという不安。

新コロナへの感染自体は正直言ってあまり気にしていません。大丈夫だと思っています。風邪にかからなければよいのです。60年も生きてくるとどんな時に風邪にかかるかだいたいわかる。疲れているときです。その際に無理をしたり、体を冷やしてしまうと風邪をひいてしまう。ですから、疲れないように、体を冷やさないようにしています。在宅勤務は通勤がないので、疲れないという点においては優れた勤務体系です。

だから3.11当時の不安はこんなものではなかったはずです。9年も前のことなので記憶が薄れているのでしょう。

そして今回は仕事自体への不安もない。3.11と今回の自宅待機で決定的に違うのはテレワークです。3.11の際も僕はパソコンを持ちかえっていましたが会社が全面的に休みになりました。在宅での勤務は当時はあまり一般的ではありませんでしたし、セキュリティーの面からも推奨はされていませんでした。会社が導入を決めたのは確か2015年だったとおもいます。

テレワークが可能になったのは、ITの進歩のおかげです。通信とクラウドの技術の進歩には目を見張るものがあります。僕は素人ですからわからないのですがセキュリティーの技術もそれに伴って上がっているのでしょう。

クラウドの技術の進歩により物理的なデータの保管場所の制約が少なくなりました。どこにいても誰とでも同じファイルを共有できます。同時更新も可能です。一昔前は、こんなことは大金を払ってプログラムを作成してもらわなければ不可能でした。それが今はだれでも簡単にできるのです。

また、通信の進歩によって、パソコン経由での電話やパソコン画面の共有が飛躍的に改善されました。パソコン経由で会議をし、画面上に同じエクセルファイルを表示し、こちらと向こうでデータを入力したり変更し、それがそのままクラウドに保存されるのです。

IT技術はもう物理的なオフィスを必要としないレベルまで進歩してしまっています。あとはそれをどう使う側が認識するだけだと思います。今回の新コロナ騒動は若しかしたらそのきっかけになるかもしれません。こういう災難もITにとってはチャンスになってしまうのですね。





2020年2月16日日曜日

新コロナウィルス、何が問題なの?

ここ数日は暖かいですね。先週は寒かったですが今年は概ね暖冬で、そのおかげもあり今年はインフルエンザは流行していないようです。毎年インフルエンザの予防接種は受けていますが、それにもかかわらずインフルエンザに感染してしまうこともありました。この様子ですと、今年は大丈夫でしょう。

その代わり、今年は新コロナウィルスの話題で持ちきりです。しかし、僕は何が問題なのかよく分からない。

僕の理解は、新型だから基本的にみんな抗体を持っていない。だからこのウイルスが蔓延すると簡単に風邪のような症状になってしまうリスクがあり、初期の処置を誤ると肺炎になってしまう確率が高いから危ない、です。

僕は、初期対応を誤らなければ、容易に治癒する病気だと思っています。肺炎は恐ろしい病気で、毎年何万にもの高齢者の方が亡くなっています。65歳以上ですと、死因の三位か四位だったと思います。ですから肺炎になる前に直せば普通の風邪と変わらないはず。

しかし、マスコミの扱いはまるでエボラウイルスのようです。マクロで見れば、普通の風邪の肺炎の方が全然怖いのに。平均すれば、毎日数百人もの方が新コロナを原因としない肺炎で亡くなっています。中国だって、普通の風邪で毎日何万人も亡くなっていると思います。何といっても人口が多いですから。

新型ですから特効薬がまだ開発されていないという事実はあります。ウイルスとしてはインフルエンザの方が全然強いようですが特効薬があります。インフルエンザにかかっても、タミフルとかイナビルを服用すればすぐに熱は下がります。

新コロナは対応が確立されていませんから、その辺での不気味さはあります。しかしこの点については、風邪全般がそうとも言えます。風邪の特効薬はないと聞いたことがあります。そうすると新コロナの特効薬は期待できないのかな。

新コロナのリスクは、感染当初は風邪のような症状であるという点です。ふつう、風邪くらいだと少し無理して働いてしまう。そこで悪化させてしまうと確かに怖いかもしれない。

ですから、ここしばらくは、風邪のような症状を感じたら全力を挙げて回復を図るべきです。無理をせず、体を休める。会会社も休む。そして病院に行き、効きの良い薬を処方してもらう。風邪として治せば普通の風邪のはずです。国も自治体もマスコミも、毎日何人新コロナが発症したと騒ぐより、風邪を引いたら会社を休みましょうという啓蒙をした方がよいと思う。これも働き方改革です。健康でないとよい仕事はできませんし。

この大騒ぎの背景には何か別の意図があるような気がする。いくつかの可能性が報道されていますけど今の時点では何もわかりません。僕の会社の経営陣は、この機を出張費の削減に利用しています。我が家も何となく外出を控えています。いずれにせよ、この騒ぎも、桜が咲くころにはもう過去の話になっているでしょう。





2020年1月25日土曜日

出雲と大和展に行く

昨日は仕事をかなり早めに切り上げて東京上野の国立博物館で開催中の出雲と大和展に行ってきました。

平日の四時前の入館でしたから入場時はすいていました。夕方になるにしたがって人の数は増えてきましたが、自由に見て回るのには不自由しない程度の込み具合でした。

テーマとしては地味ですが、博物館通いが好きな方なら見逃せない内容です。

東京国立博物館の特別展は総じてレベルが高く満足度は高いのですが、そのなかでも今回の展示は密度が濃いように感じました。言い換えれば、自分が見たいものがぎっしり詰まっていました。

この展示のメインは荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡からの銅剣、銅矛そして銅鐸です。その数に圧倒されました。また他の場所から出土した絵付きの銅鐸も展示されておりこれらも非常に興味深い物でした。

展示の入り口に置かれている宇豆柱も圧巻です。三本の巨木をまとめて直径3mの柱として使われたものの出土品でそれがそのまま展示されています。

それを示す造営図が長く伝えられていたのですが、それが示す本殿があまりに巨大でその信ぴょう性が疑われていたのです。しかし、この宇豆柱の出土によりその設計図の価値が一気に高まったそうです。こういう話は、好きです。

それに基づいた本殿の十分の一模型も展示されています。これも出雲市から借りて来たようです。あまり大きく紹介されていませんが、この模型も満足度が高いです。

柱の出土品と造営図とそれに基づいた模型。これらが全て一つの展示室で見れるのです。さすが東京の国立博物館です。

それから、卑弥呼が魏から贈られた鏡の一つかもしれないといわれている、神原神社古墳から出土した景初三年の文字付きの三角縁神獣鏡も展示されていました。卑弥呼が使節を派遣したのが景初三年なんですね。この文字も拡大鏡で確認。感動です。

三世紀ころといわれる黒塚古から出土した三角縁神獣鏡33面もすべて展示です。

四隅突出型墳丘墓関連の展示もありました。出土品と西谷古墳の上空からの映像。この出雲地方独特の古墳は大和朝廷型の前方後円墳に移行していくのです。

ここまでで展示の半分です。僕としてはここまでで充分。四隅突出型墳丘の出土品まで見れると思っていなかったので大満足でした。

ここで休憩して、もちろん残りの半分も見て帰りました。この特別展は三月まで続くのでもう一度見に行ってもいいかなと思っています。

2020年1月13日月曜日

認知症について。

僕の住む市で「認知症サポーター養成講座」というものが開かれるようなので参加を申し込みました。定員があり多数の場合は抽選とのことです。市から招待状がメールで届けば、平日の午後に開かれる講座ですが、半休を取って参加します。

僕がこの口座に興味を持ったのは二つの理由によります。

先ずは、昨日の日記に書いた、シニアはシニアがサポートするべきではないか、という考えに対する一つの具体的アクション、という理由。

そのサポーターというのがどういうものなのか今は全く分かりませんが、何らかの形で微力であっても自分が貢献できるのであれば検討してみたいです。

後期高齢者を前期高齢者が支援していければ、これからより深刻化していく高齢者問題を幾分か軽減できるのではないかと思うのです。若い人たちにはもっと生産的なことに関わってほしいから。まだ活発に動ける僕を含めて沢山のシニアがいるのですから、僕たちがあまり動けなくなったシニアをサポートしてくべきなのではないかと思うのです。

その具体的なアクションその一が「認知症サポーター養成講座」への応募。

二つ目は、自分自身にも認知症のリスクはあるわけですからそれに対する理解を深めたいという理由です。つまり、自分のため。

自分はまだ十分に体は動きますしスポーツも楽しんでいます。しかし、60を過ぎて衰えを感じることも事実です。やはりそうなると、健康に対する意識は高まります。年齢とともに体が劣化していくのは仕方がないことですが健康に暮らしたい、病気にはなりたくないというのはシニアの共通の願いでしょう。

そのあまたの病の中で最も恐ろしいには認知症ではないでしょうか。少なくとも僕にとって最も恐ろしいのは認知症です。自分が自分でなくなることなど想像もできません。

若年性の認知症というものもありますがそれは稀です。しかしシニアは高齢になればなるほどそのリスクは高まります。当面僕の年齢では発症率は2%程度ですが85歳を越えるともう二人に一人以上が認知症です。他人事ではないのです。

世界的に認知症の患者は増えていますからもちろん製薬会社はそこに大きなビジネスチャンスを見て薬の研究開発にしのぎを削っています。良い薬も開発されてはいるようです。しかしまだ特効薬はない。そもそも高齢になって脳の機能が弱ることが原因なのでしょうから薬で治るものであるのかもわかりません。

この講座への参加が、自分の認知症に対する理解を高める機会になることを期待しています。自分のためと書きましたが、妻や兄弟も一緒に年を取っていくわけで僕の知識は彼らの役にも立つでしょう。

これらの理由で市の講座に応募しました。市側もこの講座のことは結構宣伝しているので抽選漏れの可能性もあります。そしたら次回ですね。






2020年1月12日日曜日

老後不安に関する記事は、本当に不安のある人は読まないのでは?

老後不安に関する記事が多いですね。もしくは、自分がそのような記事をチェックしているので僕のIDでポータルサイトにアクセスると優先的に表示されるのかもしれません。

いずれにせよ、50代、60代の方たちが最も興味を引くことであるのは事実ですから、定年退職後に関する記事は多いようです。

しかし、ほとんどの場合、不安を煽るだけの記事でその内容から何か建設的な提案を見ることは稀です。それでも、ある一定以上のアクセスがあるから老後生活関係の記事は多いのだと思います。

不安を煽るような記事を本当に不安のある人は読むでしょうか?読まないと思います。読んだって面白くない。分かり切ったことを人には言われたくないのが人情です。

それでは誰が読むのか?老後に不安のない人たちが読むのだと思います。他人の不幸は蜜の味、っていうやつですね。

老後の生活に問題がある方が多いようだけど自分は大丈夫、ということをこれらの記事を読むたびに確認する。

でも、本当に安心している人たちはも多分読まない。安心というか、そもそもお金持ちだったら、年金などはした金だし、日々の生活不安などはないと思います。だから老後生活不安の記事などには目が止まらないでしょう。

ですから、老後生活記事に興味を惹かれるのは、自分はお金持ちとは言えないけれど、とりあえずは世間で必要といわれているよりは蓄えはあるし、年金だって平均と言われているよりも若干は多め、の層ではないかと思います。そして尚且つ、インターネットの記事を読む時間的余裕のある人たち。

そして、実際に余裕がある人達が多いから老後の生活不安関連記事は人気なのだと想像します。老後生活不安は叫ばれていますが、いまの50代、60代にはそれほどシリアスな問題ではないと思います。ある程度の余裕がある中間層は厚い。

もちろんそれから外れる層はもちろん存在します。その余裕のない層にフォーカスした記事を余裕がある層が読んでいるのでしょう。

しかし、余裕のない層は確実に増えています。貧困老人がこれから最も大きな社会問題になるという専門家もいます。

それに対して僕たちができることはないのか。シニアを支えるのはシニアであるべきではないのか、と今僕は考えています。僕たちが具体的にできること、それを今考えています。




2020年1月4日土曜日

個人株資産はバブル以上?2020年は黄金の1年になるのか?

日経平均株価の2019年度の終値が、年度末の指数としてはバブル崩壊以降の最高値を付けたことが昨年末に話題になりました。それで株について考えてみました。

バブル時の日経平均は、その時代の象徴のように語り継がれています。しかし、当時のことをインターネットなどで読むと、その最終局面においては、指数だけがどんどん上がり、実際には株のプロ達もそれについていけずただ見ているだけであったようです。まさにバブル。実態からかけ離れた値がついてプロも手を出せなかったのでしょう。

それ以降、少し株が高くなると、直ぐにバブルと声高に叫ぶ人たちがいらっしゃいます。それでは今の株価はどうなのでしょうか。東証上場株のPERとPBRの平均を他の国の同指数と比べると決して高くはないです。適正、それも下の方。PERもPBRも世界平均よりもずっと低いです。

バブルのころはPERなどは40倍が適正と言われていたと記憶しています。今の値は当時の三分の一くらいです。PBRも1.2ですか? つまり、財務諸表上の企業価値と株価がほとんど同じということです。

それで、東証の時価総額を調べました。東証の時価総額は、バブル期のレベルを超えています。下のグラフは自分で作ってみました。
日経平均株価が最高値より40%低く、総額がそれ以上ということは、発行済み株数がそれだけ多くなっているということです。だいたい1.6倍くらいになっているのでしょう。

株数が多かろうが総額は超えています。統計によると、1989年末の時価総額は611兆円、昨年度末の総額は673兆円です。約10%増えています。

個人投資家の資産も同じような状況なのでしょうか?

個人株主比率は1989年23%に対して、最情報である(僕が調べた限りでは)2018年末は22%です。ほとんど変わりません。単純に考えれば、個人レベルの株資産もバブルよりも1割近く増えているということです。

みんなが利益を上げているのかどうかはわかりません。しかし、資産レベルはバブル以上。それで、現状はバブルではないのです。

このような状況で、株価が本当にバブルを目指したらどうなるか?個人投資家の資産は、かつてないレベルになるということです。そして、個人投資家主比率が高いのが60代なのです。

すと、ここまで書いて更新せずにおいたらアメリカのイラン攻撃のニュースが。両国の関係悪化でダウも急落したようです。大発会の日経平均も下がるでしょうね。

しかし、今年の株価予想は概ね明るいようです。今年も株高になれば、その恩恵を最も受けるのが個人投資家比率の高い60代。もしかしたら60代シニアにとって黄金の2020年になるかもしれないですね。

楽観的かもしれないですけど。なにより、楽観的に生きることがシニアにとっては大事なのだ、と最近思っています。

2020年1月2日木曜日

2020年正月、五輪の記憶と新年の誓い。

2020年になりました。今年は東京オリンピックの年です。

僕たちの世代は、小学校に入学した年が1964年で、前回の東京五輪の年でした。

オリンピックの後に、クラスの全員がオリンピックの絵を描かされました。先生がそれを壁に張りだしたので、もしかすると冬休みの宿題だったかもしれません。前回の東京五輪は10月10日が開幕でしたから、冬休みの宿題でもおかしくはない。

それで、張り出された皆の絵を見ると、ほとんど全員が、聖火が灯される瞬間、もしくはその直後の絵でした。絵として描くにはそれが最も簡単な構図だったのです。みんな考えることは同じなんだなと思って、それがとてもおかしくって、今でもそれを覚えているのです。

1964年の五輪は懐かしいような気がするのですが、僕が明確に覚えているのは、この五輪の絵のことだけです。まだ小学校一年生でしたから五輪期間中にテレビで日本を応援した記憶はないのです。

僕の五輪の記憶はその次のメキシコ五輪から。メキシコ五輪は、母親に朝日グラフの五輪特集を買ってもらってすべての写真を繰り返し見ました。最も記憶に残っているのは、あのあまりにも有名な男子200mの表彰式の写真です。

彼らは、当時のアマチュアリズムの権化言われたブランデージIOC会長からから、政治的パフォーマンスを行ったという理由で五輪を追放されたのですが、ぼくはただカッコイイと思ってその写真を見ていました。

それ以降、スポーツ観戦好きの僕は冬も夏も毎回オリンピックをテレビで楽しんできました。

今回の五輪ではどうなるんでしょうか。そして自分にとっての2020年はどんな年になるんだろう。

元旦の朝食時にも、息子もそんなことを話していたから、父として、それは自分次第、と応じた。そう、有意義な年になるかどうかは自分次第なのです。

新年の計は元旦にあり、などといって今年の目標などを立てたりしますが、できない目標を立てても意味がない。自分が息子に言いたかったことは、自分の置かれた立場で全力を尽くせ、ということです。

彼はまだ学生ですから、学業に励むことが大事。そうすればおのずと道は開ける。

自分は、まだサラリーマン。サラリーマン生活をマラソンに例えれば、自分はいま41kmを過ぎたあたりを走っている。だから僕の場合は、メンタルを含めた健康に留意して、完走を目指すことが今年の第一の目標になるのでしょう。

実際は、今年やりたいことはたくさんあるのだけど、それは文字にせず自分の気持ちの中にとどめたいと思います。毎日気持ちよく生活できれば、おのずと時間は有意義に使えるし多くのことができると思うのです。

だから、何よりもまずは健康であること、それが元旦の朝の新年の誓いです。




2019年12月31日火曜日

2019は仕事への緊張から解放された年であった。

2019年は、仕事に対するマインドセットがずいぶん変わった1年でした。再雇用の契約は2020年も続くのですが、自分が仕事の緊張から解放された1年であったように思います。

昨年は、60歳で定年になったあと再雇用で同じ仕事を続けたため、自分の立場が契約社員になったことを当初はまったく感じなかったのです。しかし、やはり再雇用者です。徐々に周りとの関係は変わっていきました。自分でそれに気づき、少しづつ仕事のやり方を変え、仕事に対する気持ちのコミットメントも下げていきました。

そして今年61歳になって、やっとわかってきました。職場以外で仕事のことを考える必要はない。積極的な仕事へのかかわりは必ずしも周囲からは歓迎されない、ということを理解するのに1年かかりました。

そして気がついてみると、自分がそれまで常に意識せざるを得なかった「評価される」というプレッシャーから解放されていることに気が付きました。コミットメントを下げ続けてようやく自分は気が付くことができました。再雇用者は昇給がないのです。粗相がない程度に仕事をしていればよい。

自分の働いている会社はホワイトに近い会社です。しかし、定年までの雇用が保証されているわけではありませんでした。これはおそらく、今はどの会社でも同じだと思います。お気楽なサラリーマンというのは、もう過去のものです。

ですから、いつも仕事に対する評価が気になった。そして、仕事をしていないときも、それはいつも気になっていた。だから、体は休めても精神的にはリラックスしきれなかった。それがずっと続いていたのです。その緊張感から今年は解放されることができました。

そして、今年の秋以降、自分の時間を大事にすることを心掛けています。そもそも、仕事のことを考える必要はないのです。このブログを始めたのもその一環です。

そう言った意味で、2019年は僕にとってのシニア元年だった。これからは、人の評価など気にせず生きていきたいです。



2019年12月30日月曜日

なぜキャッシュレス化が進まないのか?こんなに便利なのに。

12月5日から読み始めた北方バージョンの三国志を昨日読み終えました。何というか、喪失感はありますね。もっとあの世界に浸っていたかった。多分、そのうち他の作家のバージョンを読むと思います。その前に水滸伝かな。

それで、キャッシュレスです。僕は、街中では2000円以下はスイカ、それ以上はクレジットカードを使っています。

特に電子マネーのスイカ。こんなに便利なものを、まだ多くの方が使っていないのは信じられないです。

スイカはコンビニ全店、それから主だったファーストフード系のレストランで使えます。お昼時にレジで並んでいると、キャッシュレスで払っているお客さんの比率は3分の1くらいですね。これは、東京の新宿でのランチライムでの観察です。ですからご老人は殆どいません。それで3分の1です。

なぜみんな電子マネーで払わないのだろう?東京の新宿といえば、ほとんどの通勤者は公共の交通機関を使っているはずです。そしてその定期は、ほとんどがスイカかパスもだと思います。それぞれ電子マネーはついている。オートチャージ機能も付いている。

このオートチャージはものすごく便利です。設定金額を下回ると改札を通るときに自動で設定した金額がチャージされるのです。だから、支払いの時にスイカをかざすだけ。他に何もしなくてよいのです。

僕の場合、平日の生活のほとんどの支払いがスイカの設定金額以内なので財布を開けてお金を支払うことは殆どありません。そのスイカも、スマホケースに入れているのでお昼はマホだけ持って事務所を出ます。

まれにシステムの不調もありますが、それもスマホケースに若干のお金を忍ばせておけば心配内です。お札1枚くらい嵩張ることもありません。

なんでこんな便利なものをみんな使わないんだろう?コンビニでの支払いも現金の受け渡しがないから本当にスムーズです。お財布をバックから出す必要もない。

これはクレジットカードの利用率が先進諸外国よりも低いのが理由の一つかもしれませんね。電子マネーはクレジットカード払いのオートチャージを使わなければ便利さは半減します。わざわざ機械で現金をチャージするくらいなら現金支払いとあまり変わらないかもしれない。

政府はキャッシュレス化を進めるキャンペーンを展開中です。そのうちに諸外国並みになるのだろうけど時間はかかるでしょうね。

2019年12月27日金曜日

三国志のため、ブログ更新が滞る。

三週間ぶりの日記の更新です。

前回更新した12月5日から、三国志を読み始めました。北方健三版です。そして、今日から最終の13巻を読みます。

冬休みにかけて少し長いものを読もうと思い、三国志の北方バージョンを図書館で借りてきました。三国志は退職後に読むつもりだったのですが、暇なので読んでしまうことにしました。

冬休みにも読むつもりが、日本人に人気の三国志はやはり面白く、一度読み始めると止まりません。そうすると、週一度は更新しようと思っていたブログの日記を書く時間も惜しい。三週間ほ何も書かなかったので、一応気にしていたブログランキングも、あっという間に圏外です。

平日でも、通勤時と昼休みと帰宅後の夕食後に読めば、読みやすいこともあり、先週は一日一冊ペースで進みました。今週はペースが落ちましたが、明日あたりが三国志の最終日となると思います。この三週間、頭の中は三国時代でしたから、なんとなく、名残惜しいです。

長い小説などを読むと、はじめは巻を進めなくちゃという気持ちで読んだりもするのですが、終わりの方になるともっと読んでいたいと思うものです。三国志もそんな小説の一つになりました。

三国志は他の著名な作家も書いています。幾つかを読み比べてみても楽しいとは思います。そういった楽しみ方は、退職後にとっておきたいと思います

基本的に、読書は娯楽です。楽しいから読む。しかし、そうやって考えられるようになったのは50過ぎてからでした。

なにか読書というと何かを読み取らなければいけないと考えてしまって、勉強だと考えていたこともありました。もっと気楽に読んでおけばよかったと思います。

本を読みながら考えることもありますが、それ自体も楽しいことでありますから娯楽です。知識を得るという目的もありますが、それも楽しいからやるわけです。読書は楽しい。

いま退職後に読んてみようと考えているのは全集です。全集は時間がないと読むの大変。浮世の些事から逃れられない現役世代には全集を読む時間を捻出するのは難しい。これは定年退職者に許された、かなり贅沢な余暇の楽しみの一つでしょう。






2019年12月5日木曜日

若者が文章を書けないのは国語教育の問題では?

本日の朝刊の一面は、文章を作れぬ若者、でした。OECDの学力調査で日本の若者の読解力が公に示されてしまいました。

これについての報道では、その原因をLINEなどのスマホアプリに求めているものが多いようです。例にもれず、教師の時間が足りないというものもありました。
僕は一番の問題は日本の母国語教育だと思います。今回のOECD調査はそれを正す機会になってくれればと思います。

英語教育については、よく会話力低さが指摘されますよね。中高6年間習ったって英語が話せるようにならない、だから日本の英語教育は間違っている、という批判はよく聞きます。(僕はこの批判は全く当たらないと思っている一人ですが、これについてはまた機会があれば日記に残しておきたいと思います。今日は国語です。)

これと同じ論法を国語の教育に当てはめて論じる報道は今まで見たことがありません。しかし現状は英語教育とどこも変わらない。小中高12年間国語教育を受けているのに、「読み書きはもはや特殊技能」と嘆く教育関係者もいるそうです。

LINEも悪影響を与えているかもしれませんが、そもそも、教育の現場で、書く練習が全く足りない。その少ない書く練習も、取り組み方がおかしいとおもう。これを僕たちは実際に体験してきたし、息子の時代の国語教育も同様だった。入試では書く力はほとんど問われないですから。

 国語が母国語の読み書きを教える教科なのであれば、最低半分は書くために時間に割くべきです。

そして文章も、感想文や作文ではなく、仕事文を書く練習を徹底的に行うべきです。状況分析を書く練習、報告書を書く練習、提案書を書く練習、などです。

学校の作文では、「今日は朝起きて、歯を磨き、お母さんの作ってくれたサンドイッチを食べてから、クラスメートと一緒に遠足に行きました」、といった作文を書くと先生に怒られた。これは作文じゃないって。自分の気持ち、考えを書きなさいって。読書感想文も、要約が多いと同じ理由で怒られた。

こういった作文指導で文章を書けなくなった人はたくさんいると思う。遠足は楽しくなかったけど、事実の記録だけにしたり本心を書くとよい点数はもらえない。読書感想文も同じ。

しかし、今の時代、学校の先生が期待するような作文を書く機会は実生活ではほとんどありません。

ほとんどの場合、事実や分析を論理的整合性保ちつつ正確に伝えることが求められます。自分の感想や気持ちなんて邪魔です。提案書の練習なら、それに適した課題を与え書かせるべきなのです。そしてその際には、先生はその文章のテンプレートのようなものを事前に教えておくべきです。そうすれば書くのが楽になる。楽であればどんどん書けます。そうすれば文章もうまくなる。

実社会では、自分の感情を書かねばならぬ機会など稀です。必要なのは仕事文です。でも学校では教えないですから、必要に迫られると、みんな自分の文章力のなさに愕然とする。それは文章が下手なのではなく、書き方のルールと文章の構成がわからないだけです。仕事文を教えてもらってこなかったから苦労する。

今はインターネットとe-mailの時代です。これらは主に文章で構築されている世界です。だから、かつてないほど文章力が重要な時代なのです。その時代にこの能力が不足している若者を大量に生み出しているのは国家的な損失ですよ。速やかに国語教育は仕事文的な文章作成の比重を高めるべきだと思う。

しかし、現役ほぼ引退の61歳の自分が日記に自分の意見を書いても何にもならない。文部省はホームページで一般市民の意見も受け付けているので、本名を名乗り、メールアドレスも記して、この日記の要約を書き込んでおきました。何もしないよりはましかなと思いってます。

2019年11月30日土曜日

定年退職は幸せなんだろう。

僕は既に定年の60歳を過ぎ、雇用延長状態で働いています。その契約も残りあと一年数か月となりました。

企業は65歳までの雇用義務がありますが、公的年金受給のタイミングを雇用契約の満了としてもよいのです。僕の働いている会社はそこまでは無条件で延長、それ以降65歳までのオプションは会社が持っています。現状では会社がそのオプションを使うことは稀です。自分に使われることはまずないでしょう。ですから自分が働けるのは63歳の誕生日までです。

しかし、僕は、ほぼ確実に1年数か月後から始まる退職後生活のイメージがまったくつかめていません。それでブログを始めました。退職後生活全般についての考えをあらかじめまとめる為に僕はこのブログに日記を書いているのです。それで、今日は定年退職について考えました。

自分が42歳で左遷され関連会社への単身赴任を命じられたとき、転職すべきとも考えましたが、その自信もなく、辞令に従いました。しかし、定年まで17年以上もあったのです。果てしなく遠い。考えるだけで気が遠くなる思いがしました。それ以降、定年は僕にとって明確な目標でした。

実際は、左遷後の仕事は思ったよりもやりがいはあり充実したものでし、東京にも戻ることができました。そして、その目標は去年達成されたのでした。

終身雇用制度はもう過去の制度といわれることもありますし会社の倒産もあるわけですから、自分の望む会社で正社員として定年を迎えられることは必ずしも当たり前のことではないでしょう。

ですから自分は運がよかったし幸せなんだと思います。これを自分は正直に受け入れています。定年による退職をポジティブに捉えたほうがその後の人生もスムーズだろうと思いますし。

自分はまだまだ働けると考えている方たちには定年は迷惑な制度かもしれません。しかし、後進に道を譲る必要があります。自分たちより若い世代に仕事を譲らなければなりません。定年というのはそのためのものです。

僕は63歳で契約満了の予定です。法律上のことは別にしてもこの年齢での退職は適切だと考えています。自分の思考能力は劣化していないと思うのですが、集中力は低下していますし、体力の低下も感じます。

かつては9時から5時まで仕事に集中してもまだ2、3時間は仕事ができました。しかし、今はとても無理です。時間当たりの処理能力は40半ばの半分くらいに落ちているかもしれません。気が緩むともっと下がる。

新しいことに対する対応力も落ちています。会社のOSがWINDOWS10になり、TEAMSも使われるようになりました。知識の更新のスピードが速くて自分はついていくのがやっと。まだONE DRIVEもよく理解していないのに。

TEAMSが便利なのは理解できるのです。ONE DRIVEとSHARE POINTとTEAMSの関係も理解できます。でも使いこなせない。なぜ今までのアプリケーションではいけないかが理解できない。今までのやり方で問題ないと思ってしまう。

職場のシステム開発の担当者になったこともありコンピューターには詳しいはずだったのですが、気がつけば自分はもう最後尾です。

だから、自分は63歳が潮時であることを納得してます。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。人にはこんなカッコいいセリフ決して言えませんが、自分ではそう思ってます。このマッカーサーの名言を思いながら会社を去る方は結構いるんじゃないかな。

しかし問題は、カッコつけて会社を去った後なのはわかってます。完全に消え去るわけじゃないですからね。ながーい退職後をどうするか、これに対する考えは全然まとまりません。

2019年11月24日日曜日

我が家は年金20万円で足りる、と思う。

大学を卒業して40年近く、会社から給料をもらい生活してきました。独身時代も結婚した当時の給料も、定年退職後再雇用で減額された今の給料より少なかったです。それでも生活はできた。

生活のための借金したことはありません。生活のレベルは収入に合わせてきたからです。これは当たり前のことです。みんなこうやって生活をしている。

最近話題になった2000万円足りないという計算は、月に20万円の公的年金を基に行われています。それで標準的な生活費の26万円には月に6万円足りないから、2000万円は個人の預貯金から補てんする必要があるという計算です。

月額20万円で足りないのでしょうか?多分、20万円の家庭はそれに合わせた生活をしていると思います。それぞれの家庭はそれぞれの年金収入に応じた生活をしているはずです。20万円の受給で26万円相当の生活を送るために毎月6万円ずつ貯金を取り崩しているような家庭は殆どないと思います。

今の年金受給世帯では、その倍以上も年金を受給している家庭も相当あります。夫婦が公務員だったならもっともらっているでしょう。企業年金に手厚い大企業退職者も年金は500万以上だと聞きます。だから今の年金受給世代で平均すれば月の生活費が20万円以上になっても不思議はないです。

でも、自分の場合は20万円あれば十分生活はできると思ってます。

まず、自分の趣味にはお金がかかっていない。本は好きですが図書館が自分の本棚代わりですし、加入しているテニスサークルも、市営の施設を使っているので会費は月に1500円です。たまに行くプールも市営で1回250円なのです。

バラも僕の少ない趣味の一つです。これもお金はかからない。バラの苗は高くても4000円くらいです。高いバラもすべて見切り価格で手に入れてます。それに、年に一つも買いません。

フランス料理も好きです。でもミシュランの星付きレストランは服装まで気にしなければならならないことを考えると自分には無理。普段着で問題ないカジュアルレストランのランチで十分です。これなら2000円で十分に満足できる。

ファミレスでも食事だって、毎日自宅で食事を作っていれば十分に楽しい外食になります。

旅行もしかり。お金をかけない旅行を計画するのが楽しいのです。

我が家の場合は、夫婦で月に20万円あれば十分に生活はできると想定しています。生活の工夫は必要でしょうが、20万円というのは工夫し甲斐がある金額だと思います。多分、これからの年金受給世代も同じように考えていると思います。

今の受給世代は恵まれすぎです。それを基準に考えても仕方がない。これからの世代は年金の金額は下がっていきますが、それと生活のクオリティーは別のものだと思います。

しかし、それだけでよいのかといえばそれはまた別の話です。想定されるリスクに備えるお金は必要ですし、何も家族に残さずにこの世を去るのは忍びないです。

そのための資産の運用は必要だと考えています。こういったことは公的年金がカバーすべきお金とは全く別の範疇です。これについては別の日記に今の考えを記録しておくつもりです。



2019年11月23日土曜日

正倉院宝物は国宝でないということを知る。

昨日は雨の中、東京国立博物館で開催中の正倉院後期展示を見てきました。雨の夕方にも関わらず結構な混雑でした。



11月1日に行った前期展示は、入場規制がかかっていて60分待ちでした。それと比べれば人では少なかったわけですが管内の混雑はそれ以上でした。雨でしたから入場規制をして観覧希望者を外に待たせるのは忍びないと考えたのでしょう。

東京での本格的な正倉院展は1981年以来の38年ぶりということです。次回が38年後と考えれば、もうこの世にいる可能性はほぼゼロでです。今回行かざるを得ない。最近は同じように考えることが多いです。もう2度と来ることはないだろうとか、目にすることはないだろうって。

同じように考えたシニアが多かったと見え、いつもの東京国立博物館の特別展に比べて高齢の方の比率が高かったですね。奈良では毎年秋に短期間の展示がありますが関西地区以外からとなるとそんな簡単にはいけません。高齢であればなおさらです。

正倉院といえば日本の宝。教科書にも載っている螺鈿紫檀五絃琵琶や水瓶それにペルシアングラスなどは一生に一度は見ておきたいです。

これらの展示物はさすがというか保存状態の良さだけでなくそれぞれの美しさが際立っていたように思います。特に螺鈿紫檀五絃琵琶は近年精巧に模造された復元品とその状態があまり変わらないと思えるほどの状態の良さです。驚きです。写真は復元品です。

しかし、正倉院宝物は国宝ではないのです。今回の特別展に足を運ぶまで、僕はこの事実を知りませんでした。宮内庁管理で皇室に伝わる宝物という扱いで正倉院宝物と呼ばれます。普段は宮内庁の元で管理されています。ですから普段の展示はなしなのです。

1200年以上前のものですからこれからもずっと伝えてほしいし、こういった出し惜しみも保管のことを考えたら致し方がないのでしょう。

書き物の状態の良さも驚きでした。そして文字も美しい。前期に展示されていた正倉院宝物帳の几帳面な楷書の漢字は本当に美しかったです。後期展示では聖武天皇の自筆による監視の写し「雑集」。藤原不比等の三女による経典の写しも展示されていました。こういった歴史上のビックネームの自筆が残っているというのは感動的であるし、また誇らしくもあります。

日本では幸いに紙の文化財が結構残っていて平安時代の歌人の自筆などはさりげなく国立博物館の通常展示などでも見ることができます。それですら驚きですが、其れよりも数百年も前の手書きの資料がはるかに良い状態で保管されているというのは驚異的でそれを見るだけでも足を運んだ価値が十分以上にありました。

僕が日本の美術品にひかれるようになったのは50歳過ぎくらいからでしょうか。退職後は、日本人が残してきたものをゆっくり見て回りたいと思っています。日本人とは何なのか、いかにして今の日本につながっているのか。こういうことを知りたいという気持ちは、年とともに強くなっています。博物館や美術館に通うのはこういった気持ちが強いからだと思っているのです。






2019年11月17日日曜日

サッカーTOTO 、一等当たるも配当は1577円だった件。

先日、楽天銀行から振り込みがあった旨のメールがありました。

全く心当たりがなかったのですけど支払いでなく振り込みですからすぐに確認しなかったのです。最近の楽天銀行はログインするたびに秘密のパスワードを求められるので面倒なんですよ。

それで先週確認してみたら、なんと、TOTOの配当が1577円。初めての当選です!!

どこかの週の三等でも当たったのかなと思って調べてみたら、なんと、一等です。一等で1577円? 配当にゼロが四つか五つ足りない、、。TOTO一等といったら、何百万、何千万が当たり前、場合によっては億なのに?
当たったのは、サッカーワールドカップアジア地区二次予選の投票でした。国によって実力が著しく異なる組み合わせが多かったので、高配当を狙わずに順当に勝ちそうな国を選んで投票していました。それで当たってしまいました。

二週間前の購入だったので配当予測がわからなかったから、、。配当予想を見て高配当を狙っていれば外れていたわけですが。うれしいけど、残念、、。

僕はここ6、7年、ほとんど毎週TOTOを購入しています。インターネットで最低単位の100円からクレジットカードを決済できるので購入がとっても簡単です。

そもそも、初めから当たるとは思っていない。でも、わずかながら期待が持てる。その、わくわく感をほぼ毎週100円か200円で買っているのです。

TOTOに投票しておくと数百万、数千万円のお金が振り込まれる可能性を手にできる。お金は全てではありませんが、心の中にわずかながらでも明るい光を持てるというか、希望というのは大げさなのですが、そんなものを持つことができるのです。

毎週買うことができる宝くじも、同じように夢というか希望というかそういうものを買うものですよね。でも、宝くじは番号は選べないし、普通は十枚以上買うから最低でも3000円は必要です。TOTOだったら、組み合わせは自己責任ですし、堂々と100円からネットで購入できます。コスパがすごくいいんです。

僕の場合は検討するのは面倒なので、決まった組み合わせで買います。浦和レッズのファンなので、レッヅの負け、もしくは引き分けをを選ぶことになった場合のみ、浦和勝利の組み合わせを追加します。ですから毎週のコストは100円か200円。

で、本当のTOTOに当たったらどうするか? それはあまり考えない。考えると老後の生活のために貯金する、という結論になるような気がする。これでは夢がない。つまらない。

ま、TOTOはスポーツ振興の財源になっていますから当たらなくってもいいんです。これからも細やかなかわくわく感とスポーツ応援のために買い続けると思います。


2019年11月16日土曜日

国民年金の金利、僕と息子と父、3世代の比較

年金理解のために国民年金の想定金利を計算してみました。

公的年金は金利という発想で運用されていないようです。インターネットで調べても見つかりません。それで、自分で計算してみようということになりました。

計算対象は、払込金額と受給額が分かりやすい国民年金といわれる老齢基礎年金を対象にしました。厚生年金は複雑そうなので簡単にはできそうもありません。


それでインターネットで情報を仕入れてエクセルでで計算してみました。61歳の僕の世代と、23歳の息子の世代、それから、もらい得、といわれている父の世代。父の世代は、計算しやすいので今80歳で満額受給されている方を例にとりました。僕の父は88歳です。

条件は

  1. 掛け金は過去分は実績、将来分は現行が続くという想定
  2. 受給額も過去分は実績、将来分は現行が続くという想定
  3. 僕の場合は24から、他は20歳から60歳の誕生日まで支払い。
  4. 需給期間は男性寿命の中央値83歳まで(平均は81、最頻は87です)。
  5. 年複利。利子への課税は無し。
  6. 受給開始後も残高に利息は発生

 この条件で計算すると、結果は以下のテーブルのようなりました。細かい間違いはあるかもしれませんがだいたいこんな感じだと思います。


僕のケース
息子のケース
80歳の方
払込金額(単位万)
513
780
245
払込年数
36
40
40
受取金額(単位万)
1330
1482
1893
受取金額から逆算した年利
3.1%
1.8%
9.3%
受取金額/払込金額
2.6
1.9
7.7

80歳の方の利率がやはり圧倒的によく、63年間にわたって年利9.3%複利で運用されるという結果になりました。驚いたのは、昔の掛け金の安さです。東京オリンピックのころの掛け金は月にたった100円です!!万博の年においてもいまの18分の一以下です。

僕の世代の想定金利は3.1%です。

インターネットで“年金 支払い損世代”で検索すると、“55歳以下はおさめ損”という2014年の記事が上位に来るのですが、何かの間違いであると思います。

僕たちの世代は、実際は83歳までに、掛け金の2,6倍を受け取れるという計算です。これは、お宝、といわれるバブルのころの個人年金と受給額だけを見ると遜色はないです。つまり、利率はとても良いということです。

息子の世代では、あくまで掛け金が増えず、受取が減らないという前提ですが、1.8%の金利です。受取額は1.9倍。今の銀行金利を考えると、抜群に良いことは間違いないですが、ほかの二つの世代とは大きく見劣りしますね。

しかし、受給額をだけを見ると、80歳の方の受給額は息子の世代の1.3倍弱にすぎません。受取金額だけ見れば3世代に大差はありません。

団塊の世代以上の方がもらい得というのは、その掛け金がすさまじく安かったことが理由です。いまの80歳の方の20代10年間での支払合計は、なんと一万九千円ほどです。息子の世代と比べるとわずか100分の一。

当時の掛け金では今の支給額は到底無理です。支給額を大幅に上げたタイミングで、政治的な判断で積立てが少なかった人たちを優遇してしまったのでしょうね。これは失政ですよ。積立てが少なかった世代には追加の徴収をするべきだったのでしょう。追加金額とその後の年金を選択制にすれば不満も出なかったのではないかと思うのですが。

しかし、これはもうどうしようもありません。これからできることは、今の世代の1.8%相当の運用を維持できるかどうかだと思います。しっかり運用すれば、できなくはない数字だと思います。死守してほしい数字です。





2019年11月10日日曜日

国民年金未納率は2%のようです。

僕は再来年から無職になり年金を受給予定の61歳です。退職後に向けて、シニアの現状や社会保険に対する理解を高めるためていろいろ調べてます。

僕の、というより、全国民が心配していることの一つが年金の存続だと思います。だから、マスコミによって多量の情報が流されていますね。破綻確実だとか、いや間違いなくなく存続するとか。

最近のコンセンサスは、破綻の可能性は低そうだけど給付年齢が上がり、給付額が下がるのは不可避、というところでしょうか。僕自身、マスコミの流すイメージでしか年金を理解していないので社会保険理解の一環で少し調べ始めました。

先ず驚いてしまったのは、国民年金の本当の未納率はたった2%でしかないという事実でした。

添付グラフは、厚生労働省年金局の令和元年6月の資料から抜粋したものです。ここからは未納率の大幅な改善も見て取れます。


未納率は3割、4割に上り国民年金は破たんの危機!!、ってマスコミは報道していませんでしたっけ?

この33割、4割って数字は、納付保留中の大学生や3号といわれる専業主婦を含んだ数字だそうです。確かに未納ですが、そもそも払う必要はない人たちです。その人たちを含んだ数字を信じて僕は不安になっていたのですね。何というか、だまされたような気分です。

確かに、未納率2%、年金破綻の危機、では迫力に欠けますが、こういう大事な情報の見出しはキャッチ―であるより正確性が求められるますよ。

一時はやたらに年金破たんを煽るような記事が多い時もありました。こういう記事も不安を煽りますよね。

日本人口の構成が少子高齢化であるのは周知の事実ですから、これを理由に不安を煽り未納率が3割だ4割だと報道すればみんな国民年金は破綻するかもしれないと思うのは当然のことです。

今はさすがに年金破綻を言うような記事は減ってきて、基本的に国民年金は破たんしないという国民的コンセンサスは得られているように思います。しかし、みなどこかで不安を抱えていると思います。

そうするとやっぱり財布のひもは固くなります。国民年金だけで生活するのは難しいですが、これくらいは心配なく受け取れると考えられれば、少しは日本国民の財布のひもは緩むかもしれない。国民の消費が景気に与える影響は大きいですからこの心理的な影響は大きいです。

また、未納2%の相当数はマスコミが煽った年金破綻説を信じて納付していない可能性もあります。年金はどうせ払われないんだから老後は生活保護で、と簡単に考えている人たちもいるそうです。

でも、年金の破綻より生活保護の予算の大幅削減の方がはるかに高い確率で起こると思います。そうしたら未納の人たちはどうするの?

マスコミの報道を鵜呑みにしてはいけないと言うことは分かっていたはずでしたが、年金についてはすっかりマスコミの情報に流されていました。

今はインターネットで様々な情報を得ることができますから大事なことはやはり自分でしっかり調べて考えをまとめておかなければいけませんね。これが今日の学び、というところでしょうか。







2019年11月9日土曜日

ネットで買ったパソコンを返品する

昨日アマゾンのタイムセールで購入したノートパソコンを返品しました。

このパソコンは低価格高性能で通常は二万六千円くらいで購入できるものです。それをタイムセールで四千円引きで購入。

書き込みは★五つも多いのですが、★一つも多い商品でした。使えればとってもお得、でも不良品の可能性も結構高い、購入はギャンブルでした。

やはり不安的中。購入一週間でキーボードの一部が効かなくなりました。一応サービスセンターへスカイプで電話してみたのですがその先は中国。尚且つ、つながりませんでした。

それでアマゾンで返品処理。この処理自体は簡単。梱包も、返品も覚悟の購入だったので送られてきた箱や緩衝材は捨てませんでしたから簡単でした。それを近所のセブンイレブンからヤマト運輸の着払いで送って完了。

僕にとっては家電品の返品は初めてです。電化製品は、スマートフォン五台、パソコン、プリンター各三台、カメラ、テレビ炊飯器各二台、電子レンジ、掃除機、洗濯機、ミニコンポ各一台とインターネットで購入してきましたが不良品が送られてきたことは一度もありませんでした。僕のネット販売に対する信頼度は高いです。

今回は中国製の超格安。はじめからリスクはわかってました。不満はまったくない。ですから今後も僕はネットでのショッピングは続けます。

サラリーマンにとって帰宅後にビールを飲みながら商品を選んで購入できるのはとっても簡単だし楽しくもあります。煩わしい定員に欲しくもない物を勧められることもない。とにかく、じっくりと時間をかけて選べるのはネットショッピングの最大のメリットだと思ってます。

しかし、衣料品のネット購入だけは躊躇しています。店員さんとやりとして購入するのは好きではないのですが、服は実際に見てみないとわかりません。また、自分は服を選ぶセンスがあまりないので他の人の意見を聞かないと何を買うか決められません。ですから直接お店で買います。

ネット購入の衣料品でもサイズが合わなければ返品と交換は可能です。妻は返品もいとわずにネットで衣料品を良く購入していています。しかし僕にはとても無理。

服もネットで買えたら、僕ももう少しファッショナブルになるんでしょうか。でももう60過ぎてますからファッショナブルも何もない。何着ても一緒かな。だったらネットで買っても同じ?試してみる?これが今日の日記の結論になりました。

日本の不幸、新コロナも政権批判の道具にされてしまう。

先週安倍首相が政府の新コロナウイルス対策をテレビを通じて国民に説明しました。僕の感想は可もなく不可もなくってところでした。もう少し早くこのような機械を持つべきではなかったかと思いますが準備が整わなかったのかもしれません。 そして、やはりというか、さっそく野党は批判のコメントを...